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ギュンター・ヴァントは若ければ若いほどよい〜シューマン『交響曲第4番』

一日遅れになってしまったが、昨日はロベルト・シューマン(Robert Schumann, 1810年6月8日 - 1856年7月29日)生誕211年の日。
日頃彼の歌曲や室内楽をよく聴くし、4曲の交響曲も不人気な第2番も含めて、何か新しい音盤が出れば買う買わないはともかくチェックはしたりもする。

「神格化」ではなく「暴力的」

さて、そんな中で今回は晩年ブルックナー演奏で尊敬を集めたギュンター・ヴァント(Günter Wand, 1912年1月7日 - 2002年2月14日)が、恐らく1960年初頭に録音したシューマンの『交響曲第4番 ニ短調』のLPを【ターンテーブル動画】にしてみた。レーベルはフランスの会員頒布会方式の通信販売レコードレーベル、Le Club Français Du Disque
ヴァントは1946年にケルン市音楽総監督に就任し、録音当時はケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団を率いていた。Le Club Français Du Disqueにもこのコンビでモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスの主な作品をレコーディングしており、言わばこのレーベルのハウス・コンダクターのような存在だった。

G.ヴァント

後年のヴァント=ブルックナーのイメージが強く、ブルックナーを振る長老指揮者にありがちな神格化、あるいはその演奏を聴くことによって、何か御利益があるのではないか?と思ったりするような現象(錯覚)が起こったように思う。
がしかし、私個人としてはそんなヴァントよりも1960年代〜70年代中頃まで彼の音楽が好きだ。ケルン時代のヴァントの何処かぶっきらぼうで、何なら暴力的、眼光鋭く相手を睨みつけ、懐にスタンガンを忍ばせ、相手が何かしようものならそれを素早く取り出して、「はい、一丁上がり!」みたいな・・・。
そもそもヴァントは若い頃から当時のモード音楽、ストラヴィンスキーや新ウィーン楽派に取り組んでいたし、得意としていた。決してクラシカルな王道レパートリーだけで勝負していた人ではない。

【ターンテーブル動画】

鋭く金属的な危険性を孕んだ壮年時代のギュンター・ヴァントの快演がこのシューマン。ヴァントは同時期に『交響曲第3番”ライン”』もレコーディングしている。

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ヴァントはこの4番を、手兵のケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団ではなく、Le Club Français Du Disqueがレコーディングのために結成したパリのオーケストラ、セント・セリ管弦楽団を指揮し、レコーディングしている。
この聴き慣れない団体は、パリ・オペラ座管弦楽団パリ音楽院管弦楽団のメンバー、そして腕利きのフリーランスのパリの音楽家が多数在籍している、実はとんでもないオーケストラ。
かのヘルマン・シェルヘンは、このオケを指揮してバッハ『ブランデンブルク協奏曲』をレコーディングしているが、それはまるでサーカスのどんちゃん騒ぎ、あるいはお祭りのお囃子のようなやりたい放題。

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このヴァントのシューマンも、質実剛健なケルンのオーケストラ相手以上に、ヴァントの暴力性が際立った「危ない音楽」だ。




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