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現地コーディネーター:第14話

 出会ってまだ数時間しか経たない若者三人は大学構内の駐車場に停めたビートルから降りると、静まり返ったキャンパス内を意気揚々と歩いた。真冬なのに空気は湿気を帯びて寒さは感じない。モスの垂れ下がる古木や蓮池のある庭園を抜ける。キャンパスは端から端まで歩くのに一時間はかかる広さだそうで、パーティー会場の学生寮までの道のりはなかなかのものだった。

 エドウィンは心地良い南部の夜風を感じながら、ジャスミンの香りをさせた従姉妹のクリスタルと乏しいボキャブラリーを使いながら談笑して歩いた。このまま寮に着かなければいいのにと思う。

 ひっそり静まったコンクリートの歩道を街灯だけが部分的に照らし、まばらに植えられた楡の木が月光に照らされている。本当にこんな人気のない所でパーティーなどあるのだろうか?

 よそ行きの白い花柄のワンピースを着たクリスタルは鼻歌交じりに軽い足取りで二人を先導して進んだ。さっきまでの純朴な印象とは全く違った真紅の口紅が暗闇に映えている。やがて苔むした石柱を擁した厳かな神殿のような二階建の建物が目の前に現れ、クリスタルは足を止めた。歴史を感じるゴシック調の建物の入り口には大きなギリシャ文字が三つ並んでいる。

「ここがフラタニティと呼ばれる寮よ」とクリスタルが説明を始めた。
 フラタニティとは元々は家柄の良い大学生の福祉活動団体だったものの、現代では裕福な家の生徒が乱痴気騒ぎやパーティーを行う場所として知られるようになったらしい。多くのメンバーは権力のある親を持ち、この団体にいる事が免罪符になる事もあるようだ。

 カズマが先陣を切って寮の重厚な扉を開けると、充満していた室内の騒音が一斉に三人の耳を襲った。ずっしりと重く響くヒップホップのビートと学生たちの叫び声が溶け合って由緒正しい建物に醜く響き渡っている。一階のロビーだけでも五十人はいるだろう、白人学生の戯れる様子が目前に広がった。 

 エドウィンは落ち着かない素振りで自分のリネンシャツの袖を捲ったり伸ばしたり、挙動不審な動作を繰り返す。クリスタルはその様子を見ると、落ち着かせるように彼の肩を軽く叩いた。

 カズマは白人の集まるロビーの中央まで我が物顔に歩を進めると、突如として雄叫びをあげる。踊っていた連中が一瞬止まり、注目を集める。この男はきっと「羞恥心」というものを日本に置いてきたのだろうーカズマの後ろを歩いていたエドウィンは代わりに頬を染めた。

 そのロビーは広く、まるで高級ホテルのようでさえある。中央にある大きな木製のテーブルは酔いしれた学生たちの舞台と化しており、その周りの十人掛けのソファは酒と土足の跡で無惨な状態だ。二階からは四つ打ちのビートが聴こえる。どうやらこの寮にある様々な部屋で同時多発パーティーが行われているようだ。

 二階に続く大階段の踊り場では男女四人組が寝そべりながら談笑している。階段の手すりには大きなスピーカーがロープで巻き付けられ、流行りのヒップホップのビートが割れんばかりの振動を階下に伝えている。

 エドウィンは偏頭痛にこめかみを抑えながら辺りを見回した。尻を激しく振りながら踊る女子大生と、その後ろで交尾するように腰を揺らす男子大生―ラブソファの上でお互いの舌を絡ませているカップル―ビールジョッキにピンポン球を投げ入れて歓声をあげる男の集団―水ギセルで何かを吸っている輩たち。

 目の前の混沌が現実のものとして捉えられずエドウィンはただ呆然とその場に立ち尽くした。日本でも社交の場には馴染めなかったけど、これはまた異次元だ。

 一方のカズマは嬉しそうに目を細めながら音楽に体を揺らし、物色するように四方八方を見回している。クリスタルは固まったように動かないエドウィンを見て申し訳無さそうに伝えた。

「なんかすごい騒ぎね。私もびっくり。とりあえず友達を探しましょう」

 クリスタルはエドウィンの腕を引っ張りながらロビーを歩き始めた。後ろをついていくカズマは、テーブル上で肢体をくねらせる女たちをだらしない顔で眺め、目が合う度にウィンクしている。白人のパーティーに紛れ込んだドレッド頭の日本人は人目をひくようだ。

 ふと後ろからクリスタルを呼ぶ声がした。振り返ると女二人がこちらに手を振っている。
「シンディ!メリッサ!」
 クリスタルは黄色い声をあげ、二人の元に駆け寄りハグをした。

 ブルネット髪にぱっちりした茶色い瞳のシンディは胸の谷間までスリットの入った黒のワンピース。妖艶な目をした金髪のメリッサはサイケデリック模様のワイシャツとぴったりとした綿のパンツ。

 エドウィンは自己紹介をされたものの彼女たちのどこに視線を合わせればいいのかわからず、逃げるようにカズマのほうを向いた。カズマはあまり興味なさそうに欠伸をしている。

「こちら、私の日本の従兄弟、エドウィンよ」
「ワオ、ジャパン?それはクレイジーね!」シンディが甲高い声で続ける。
「あなたに日本人の従兄弟がいるなんて知らなかったわ。私、ずっと日本行ってみたかったの!日本のどこなの?」

 前のめりに質問攻めをしてくるシンディにエドウィンが口籠っていると、もう一人の女が間髪入れずに他の質問を投げてくる。エドウィンは助けを求めるようにもう一度カズマの方を振り返るが、既に彼の姿はなかった。

         *

 カズマはロビー脇のドアからビール瓶を持った学生が出てくるのを目ざとく見つけると、反射的にそのドアが閉まる前に滑り込む。中に入ると簡易キッチンとシンプルなソファの置かれたリビングルームになっていた。
 
 キッチンアイランドにはウォッカやテキーラといったリキュールとソーダのボトルが並んでおり、脇の冷蔵庫を勝手に開けると上段から下段まで多種のビールが埋め尽くされていた。

 奥の個室からは女の喘ぎ声が聞こえ、天井からは四つ打ちのビートがずしずしと響いている。カズマは上の階の未知の狂騒を想像し、高揚した。

「ビールとってくれる?」
冷蔵庫を物色するカズマの背後に柔らかな南部訛りの声がかかる。
「いくつ?」
「一つでいいわ」
少しハスキーで低音の声質がカズマの背筋をくすぐる。

 カズマがブルックリン•ラガーを手に取って振り返ると、真っ黒なアフロヘアの女が微笑んでこちらを見ていた。このパーティーでは珍しい浅黒い肌とぱっちりした黒い目が印象的だ。絵の具をぶちまけたような柄のワンピースはとても個性的で、自然に着こなせる彼女は相当センスがいいのだろう。

 カズマは口元を緩ませながらビールを手渡した。
「ブルックリンから!」
 女はくすっと笑いビールを受け取った。

「俺の出身地」カズマが付け足して言うと女は驚いた顔で身を乗り出す。
「そうなの?ブルックリンのどこ?」
「ウィリアムズバーグ」
 女は興奮をしたように大きな口を全開にして声をあげた。

「冗談でしょ?四年前の夏にその辺住んでた事があるの!」
「どの駅らへん?」
「ロリマー駅の近くよ」
「L線の?」
「そう、レオナード通り。親友が住んでたの」
「そこは正真正銘のウィリアムズバーグだね」
「正真正銘?」
「ウィリアムズバーグって呼ばれる地域も最近どんどん広がっててさ。モントローズ駅らへんに住んでる連中まで『イースト•ウィリアムズバーグ』とか呼んでんだもん」
「ブランディングね。不動産屋の陰謀」
「その通り。そのうちイースト•ニューヨークもウィリアムズバーグになるよ、きっと。イースト•イースト•ウィリアムズバーグとか言って」  
「全くその通りね!」
二人はほぼ同時にいたずらっぽく笑った。

「私の名前はジョディ、よろしくね」
 ジョディはきれいに整った真っ白な歯をむき出しに微笑み、握手を差し出した。その柔らかな手は弾力感があり、シャーロットのただ柔らかいそれとは全く違う感触だ。

「ブルックリンにはどれくらい住んでるの?」
「七年くらいかな。随分様変わりしたよ」
「そうでしょうね。当時からあちこちで工事があったもの」
 ジョディは懐かしむように目を細めて言う。
「生まれ育ちは?」
「日本だよ。確か。あんま覚えてないけど」
 カズマがとぼけたように答えるとジョディはくっと笑う。
「…まさかここで日本人に出会うとは思わなかったわ。ニューヨークではよく日本人と遊んでたのよ。ミュージシャンとか。センスのいい人が多いから好き。礼儀正しいし。この辺では全くいないのが残念だけど」

 カズマはまんざらでもない表情で肩をすくめ、手に持ったビールをライターの尻で手際よくこじ開けて、ジョディと乾杯した。

 カズマがここに来た経緯を簡単に話すと、ジョディは興味深そうに耳を傾け、自分は元々生まれも育ちもメンフィス郊外だとため息混じりに言った。

「保守的な連中は本当に嫌い。進化論だって信じてないんだから。黒人の事を未だに嫌っている人も多いしね」
「そうなんだ。少数派は大変だな」カズマは舌打ちをする。

「黒人の方が数としては多いんだけどね。でもニューヨークと違って居住区がはっきり分かれてるの。南部だからまだ感覚的に奴隷時代のなごりを引きずってるのよ。私はちょっと白人の血も混じってるし人種なんて気にしないんだけど、ここまで真っ白な特権階級のガキ達のパーティは本当に居心地わるいわ」
「じゃあなんで来たの?」
「幼馴染に無理矢理連れてこられたの。でも『運命の出会い』があったみたいで。二人でいちゃつき始めたから暇になっちゃって」
「へえ、こんな所で『運命の出会い』もあるんだね」

 ジョディはカズマの含み笑いの真意を探るように力強い瞳でカズマをじっと見つめる。カズマは思わず一瞬目を逸らしてしまうが、すぐに視線を彼女の瞳に戻した。

「友達が待ってるから一旦戻るけど一緒に来る?彼も混血なんだ」
 カズマが提案するとジョディは顎に手を置いて少し考える。
「面白そうね。でも遠慮しとくわ。今日はあまり新しい友達を作る気分じゃないのよ」
「そっか。オレとも友達になれない?」
「あなたはクールだからもう友達よ」
ジョディはくすっと笑って冗談ぽく答えた。

「それは光栄だ。彼らにビール渡したら会いに来るよ。どの辺にいる?」
 ジョディはベース音で小刻みに震える真上の天井を指差す。
「多分あそこにいるわ」

 ジョディはやや素っ気なくそう言うと、挑発的な色を帯びた強い眼差しをカズマに浴びせる。それはしばらくご無沙汰していた本能的な引力で、カズマは思わず身震いした。そしていつのまにかもう飲み干していたビールの空き瓶を置き、新しいビールを三本冷蔵庫からひったくった。

           *

「大学は楽しい?」

 絡んでくる連中を避けることを繰り返した末にロビーの隅の床に腰を落ち着ける事になったエドウィンは、気まずそうに隣に座るクリスタルの機嫌を伺うように尋ねた。彼女の友人は話の盛り上がらないエドウィンに早々に見切りをつけどこかへ去ってしまっていた。彼女も本当はそっちと一緒に遊びたいのだろうと考えると胸が痛む。

「まあまあかな。そっちは?」クリスタルが微笑し答えた。
「まあまあかな」
 エドウィンが王蟲返しに答えると、クリスタルが続けた。
「アメリカはどう?気に入った?」

 エドウィンの答えづらそうな様子を察して質問を変える。
「こっち来て嫌だったことは?」

 沈黙がこれ以上続いてしまわないように、エドウィンは思いついた事から口に出してみる。
「汚い事かな。みんな平気でポイ捨てするし、トイレだって便座あげないでそのまま用足すヤツがいるみたいで便座が小便まみれなんだよね。小便用の便器があるのにさ」

 エドウィンは口に出してからおかしな例を挙げてしまったと気づき顔を赤らめた。クリスタルは声を出して笑う。エドウィンはそれを見てホッとしたが、気を抜くと沈黙がすぐに二人の間を埋める。話すべき事はきっとたくさんあるはずなのに、思いつかない。

「私たちの目、似てるよね」
 ふとクリスタルがエドウィンの目をじっと見つめて言った。

 エドウィンは頑張って従姉妹の目を見つめ返す。お互いの空白の年月が少しだけ埋まったような気がする。そして自分が今こうしてここにいる事実を改めて不思議に感じた。何かのタイミングが違えば自分の人生がこのテネシー州で送られていたかもしれないのだ。

 ふと手元にハイネケンの缶ビールが不意に放り込まれる。エドウィンが振り返るとカズマが少年のように目を輝かせて立っていた。
「お待たせ!」

 カズマは両手に残ったギネスとコロナの瓶ビールを持ってクリスタルに選ばせた。
「何でオレはハイネケンって決まってるんですか?あと、戻るの遅いです」
 エドウィンが口を尖らすとカズマは茶化すように答える。
「お前ハイネケン顔じゃん。遅かったのは、その、家族水入らずの時間が君たちに必要かなと思って」

 日本語を理解しないクリスタルは表情を少し曇らせ英語で同じ質問を繰り返した。
「ビール持ってくるのに随分時間がかかったわね。何してたの?」
 カズマは悪びれもせずジョディと出会った事を淡々と話した。
「ジョディってあの黒人の子?気を付けてね、あの子は…ワイルドだから」

 カズマはギネスの瓶を傾け喉の奥に流し込んだ。そして大きくゲップをするとエドウィンの方を向き直り、楽しんでるかどうか日本語で尋ねた。エドウィンは務めて無表情に「別に」とだけ答える。

「そんなにクールにすんなよ。せっかくアメリカに来てんだから。つぶれるくらい飲んでもオレが面倒みてやるからさ。この国じゃ『クール』は受けないんだよ」
「みんなその場限りで仲良しの振りして必死にバカな事して、翌日には名前すら忘れちゃう。興味ないし、何の意味もない」
「その場限りでも楽しんだ方が得だと思うぞ。死ぬ時に後悔するぜ。『オレあの時なんでメンフィスではじけなかったんだろう。あの子のおっぱい柔らかそうだったなあ』とかって」

 カズマは置いてきぼりのクリスタルに気づき英語に切り替えた。
「二階でいい音楽流れてたから踊りに行ってくるけど、みんな行かない?」

 カズマの提案に二人は同時に顔を見合わせた。エドウィンがすぐに首を横に振ると、クリスタルもそれに合わせるように首を振った。

「好きにしてていいけど十一時半にはここに戻ってきてね。うちの門限(Curfew)は十二時だから」
「Curfew?」

 カズマは聞き慣れない単語に大げさに驚いた。そして二人の肩を挨拶代わりにぽんぽんと叩くと、中央の大階段を一段飛ばしで颯爽と駆け上がり二階の角の部屋へと消えていった。再度とり残されたエドウィンとクリスタルは嵐のような入退場に顔を見合わせた。

「あの人、ニンジャみたいね」
 クリスタルの呟きにエドウィンは苦笑した。
「…で、何の話してたっけ?」
「覚えていない」

 エドウィンは本当に覚えていなかった。自分の会話はいつもさし触りなく、すぐに忘れてしまう程度のものだ。ぼんやりと周りを眺めながら、頭の中でロイのピグミーの話がなぜか思い出された。

(第1話〜第13話はこちら👇)


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