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凡の人

「昔は変わり者と呼ばれていた。」
歴史上に名を残す人物には、このフレーズがお約束。


何者かになりたくて

自分にそういった非常識的な部分を探すも
「変わった部分」が欠けていることに気づく。


つまり凡の人なのだ。


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日本の歴史上有名な織田信長も
相当な変わり者であろう。

「長篠の戦い」以前の戦いは
当時は基本的に一騎打ちのスタイル。

武将は戦場で自分の出身地やら
家系,名前、年齢,戦歴などを互いに
告げ合ってから戦っていたらしい。

しかし、信長は武田勝頼を撃破するために一騎打ちを拒否。
策を講じて、有名な鉄砲隊の三段構えで軍勢を迎えた。


武田にしてみれば、その非常識を批判しただろう。

「やはり『うつけ』じゃ!訳のわからぬマネをしよる!」といった風に。

しかし、常識の武田は非常識の信長に敗北した。

まあ、よくよく考えれば、
武将の一騎打ちも、最初は非常識だったのでは無いかと考える。
(普通にぶっ飛んだスタイルに思う)

だが、「あれ、イイじゃん」ってことになって、
みんながやり始めた。

常識に変わってしまった訳だ。

常識は「マヒ」であり「思考停止」でもある。

これは実は怖い。
武田軍は思考停止した悲惨な例だ。


「名を馳せた人」というのは、
信長のように常識を認めず、「マヒ」や「思考停止」を受け入れなかった人が多かったのだろう。

昔は「夜を明るくする」といった非常識こそが、
夢そのものだった時代もあったのだ。

だが、非常識を常識にしていった現代人にとっては、今や非常識を見つけること自体が難しくなってきているよう思う。

非常識の発見こそが夢の始まりであり、偉業への第一歩である。

時代が変わっても、変わらない本質を今こそ見つめ直したい。


日常生活の中で
「あれって、できないかな?」
と思考したり、

「これ、変じゃない?」と、
ちょっとした違和感を感じとることが
今や大切なんじゃないだろうか。


常識にとらわれない「変わり者」が
ウケる要素は現代に多分にある。


かの有名な、エジソンも最初は
「変わり者」だったに違いない。

しかし、彼はやってくれた。

エジソンは天才だ。

誰もが認めることだが、
だれもが等しくエジソンになれるチャンスは持っていた。

途方も無い非常識を追いかけたのがエジソンだったのだ。

天才とは1%のひらめきと99%の努力である

それは、資質や才能なんて
脳みそのオプションに過ぎないってことだろう。

あとは自分の意識次第なのだ。


日常を何となく過ごすのをやめて
非常識を妄想する。


意外と刺激的だ。


ごま吉(@Lv1gomakichi

たしかな満足を(´ε` )