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選択しない選択肢

携帯電話各社がこぞって低料金プランを出してきた。若い頃は携帯代に2〜3万円使っていた世代からすると、もう信じられない異次元料金だ。

3,000円切るとかゴイスーでしかないんだが、携帯マストで選択肢の無い社会は、まあまあエグい状況だとも思う。

外出がめっきり減って、日曜引きこもり生活もそろそろ1年。
いかがお過ごしでしょうか?



ここのところ世を賑わす「多様性」という考え方。SDGsとかもうちょっと分りやすい言葉にしてくれよと思うけど、一気にセカイに選択肢が増えてきた感がある。


「普通」の概念が徐々に拡がり、ともすれば「普通である必要性もない」のが今の社会のトレンド。いろいろな生き方が認められる大航海時代のはじまりだ。


本来、生き方に正解はなく、人生は自由でなくてはならない。でも社会がそれを許してくれなかったのだが、コロナを経てこうした思想というか欲求というかヒトの根底にある何かが一気に顕在化してきた感はあるよね。

行動できない現実と多様性を主張が許される現実を鑑みると
誰かが言っていた印象的なセリフで、

時々、新しい冒険をする。
時々、新しい冒険が出来ればいい。


今の私はこのマインドだ。

やや控えめがベストチョイス。
この程感が大事。



色んな学者が「選択できる社会」じゃなくちゃいけないと言う。
立派なもんだ。

でも、選択できる社会がイコール「選択しなきゃいけない社会」であってはいけないと思う。


毎日は何気に選択の連続だけど、選択は思ったよりエネルギーを使う。そして、予め決まった選択肢しか選べないのが普通の人だ。


街で女性に「今暇ですか?」と聞くより、「カフェとレストランどっちが好き?」と聞いたほうがナンパ成功率が高いように、人は予め準備された選択肢を選んでしまいがちだ。そこはある種、思考マヒなゾーンでもある。


日本人は特に「正解」や、社会で普通とされる「横並び」の同質性を求めてしまう。

海外を見るとちょっと違うのが、「選択しない選択肢」を持ってる人が多いということ。つまり自分の中で納得感が無い限りは、行動や判断を決めないということだ。素晴らしいと思う。

選挙の時、別に選びたい人がいなくても、誰でもいいから名前を「書かなきゃいけない」的なアレも。(無記名投票もあるけど、まあまあやらないし、やれないよねと思う)

選択は強者の特権な気もするので、選択をしなきゃいけないセカイではなく、選択を捨てれるセカイの方がより多様性という思想に寄り添っているような気もする。




昔は、生き方に悩む人に「興味の持てることを探しみて」とか「できない理由を探すのではなく、どうしたら達成できるかを考えてみて」とか、そういう前のめりのアドバイスも多かったと思うけど、まあそれが出来たら苦労しないのが生き方に悩む人たちであって、本質的には「…ちょっとほっといてくれよ」というのが本音だと思う。


デジタルのセカイではROMが許されるのに、現実でROMは許されない。デジタルとリアルが融合している現実で、この乖離がやっぱり違和感を生むのだと思う。


人は、夢や目標に向かって走っている時こそ、生きがいを感じて、人生は充実したものになるのは間違いない。


けど、道を進まないのが「逃げ道」とイコールになる考え方やそれが弱さだと感じさせてしまう空気感は、もうこれからのセカイには馴染まない。


アクションを「しようとするとき」にちゃんと聞ける社会、アクションを強いらない社会、息苦しい選択を捨てても許される社会。


昭和世代からすると、「なんだ!この軟弱者が!」と言われそうなのだが、今世の中は「多くを求めていない」人が多いことにそろそろ気づくべきだ。
その先がまばゆく光輝いてなくても、今心地よければいい。これからは、そんな未来が望ましいのだと思う。


(ごま吉)

たしかな満足を(´ε` )