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自分のノートから考える障害受容

こんにちは。
耳の聞こえない娘を育てながらベビーシッター業をしているアサミです。

今日は耳の聞こえない娘が生まれてからそのことを受け入れるまでの道のりを少し振り返ろうと思います。

先にお伝えしますが、障害について私が個人的に学んだことや思っていることを綴るものなので、障害をお持ちの方や関わる方をどう見ているとかでも、何が良い悪いということでもありません。言葉に敏感な方は、スルーしてくださいね。



もう10年前の研修とそのノートの内容で、何度も思い出すものがあります。

長女は生まれていましたが、研修は次女がお腹にいるときのことでした。

保育士研修だったので、テーマは子どもの発達のつまずきを保護者が受け止めていないことによる問題点や関わり方のポイント、受容の土台を築くこと、認知の地図という考え方、障害の二面性の理解、保護者とのコミュニケーションなどでした。

その中で障害受容のステップというのがあるのですが、障害受容をするステップでの躓きと周りの関わり方で大切なことの記録と記憶、
そしてその後自分の話で、次女のことを受け入れるまでを書いていきます。

障害受容の躓(つまず)きについて

①喪失

子どもの障害を告知される場。
思い描いていた子どもの姿ではないことを告げられる。
障害の札(レッテル)を貼られるが、浮いている状態。

例)
生後1か月以内に確定診断を受ける障害などで、生まれてきた赤ちゃんのお父さんが「ああ、、、この子とキャッチボールをするのが夢だったのに、、。」と
ショックで夢や希望を失った状態。


しかし
講師の先生はこうも言っていました。

例えば障害などなく生まれてきた子の親でも
「将来子どもが野球選手になってほしい」という夢を持っていたり
「将来こんな仕事をしてほしい」という夢を語ってくれるけれど
その夢を18年かけて失っていたりする。

講師の先生は
「何もなくしてはいない。
キャッチボールをしたい夢はなくしていない。
それに、思ってもみなかった夢があるかもしれない」と仰っていました。


障害は「喪失」ではない。
障害告知は時間の「加算」ではない。

悩み、問題、ひとつひとつ、どんな子育てでも起きていること。

と。

【障害告知を受けたときの私】
・一番最初(生後3日ころ)は変に強がっていた(現実逃避?)
・とりあえず泣いた
・先が不安すぎて考えることが怖い


②怒り・否認

診断の拒否と心理的ひきこもり。
「普通になればいい」というスパルタ。

「治りますか、治りませんか」という質問はよくあるそう。

「こういう人として、立派にやっていく道はある」
と答えているそうです。

怒りについては、吐き出させてあげること。

吐き出した後には、絶望がやってきて、心が空っぽになる状態がくる。
⇒ここで、周りが声をかけていかないと子育てをする気がなくなったり、ネグレクトになってしまうこともある。


【障害告知を受けたときの私】
・大きな検査まではネットにかじりついて調べた
・嘘であってほしいと思って、「やっぱり違いました」というパターンがないか探した
・怒りはなかったけれど、どうにかして「普通の状態=定型発達」に近づけないか考えていた

③絶望

あきらめとネグレクト
表面的な受容による過小評価

「うちの子、障害があるから〇〇できません。」「努力しなくていい」ということになり、極端な過小評価が起こる。


障害があろうが、なかろうが、できることを努力してやろう
ということが大切。


【障害告知を受けたときの私】
できないことを探してしまう
・比べる対象を間違ってしまう。できる子ばかり目についたり、逆に全く違うステージの障害を持っている子と比べて自分の方がまだいい、と安心したかった。

④適応

「保護者」をアイデンティティとする親
支援の排除による囲いこみ


成人後、子が親より自分のことをわかってくれる人と出会い、子にとって、親より大事な人がでてくる。
これは、親として当たり前のこと

でも、親によってはこれができない場合があるようです。
自分(親)よりこの子を理解してくれる人なんていない!と思ってしまう。

いつか、この子の子育ては終わる。
ほかの人に託す日がくる。

例)30組の親子がとある地で3日間親子離れて過ごすという体験があった。障害を持つ子が家にいない間、夫婦ふたりは何もできなくなってしまう。
いつの日か障害児をもつ親は夫と妻でなくなり、戦友になってしまっていた。
子の自立がこわい・・・」

「子ども 障害受容」で検索すると上位に出たものがありました。
ここでは5段階の
「ショック」「否認」「悲しみと怒り」「適応」「再起」で書かれていました。

ここでの本来の受容段階説は

ショックについては言うまでもありません。我が子に障害があると判明すれば、子どもの誕生で描いていた未来が大きく変化してしまいます。
ショック
「私の子に障害があるなんて」「もしかしたら専門医の診断ミスなのでは」など、障害の診断に疑問や不信感を抱き、認めようとはしない心理的状況をさします。
否認
障害の診断に対しての受け入れると、産婦人科で同じ時期に出産された健常児と比べてしまったり、自分自身(保護者)が「何か原因を作ってしまったのか」「これまでは何の不自由もなかったのに」など、障害に対して、子どもに対して、自分自身に対して悲しみや怒りなどの感情が現れます。
悲しみと怒り
悲しみや怒りが少しづつ落ち着き、書籍や専門家から障害についての知識を得て、または同じ障害がある子どもの保護者と知り合い、そこから経験談を聞きいたり、コミュニティに参加することで、障害に対して受け入れる下地が形成される時期です。
適応
適応期間での知識や経験により、子どもの少し先が見通すことができ、障害を認め、「共に頑張ろうと」とする気持ちが持てるようになることです。
再起

と書かれていました。


障害受容に躓きがあると、子にも親にも影響があるといえます。


お子さんの障害の内容や時期によっても、受容の段階とその時期は人それぞれ違いますので比べるものではありません。


私の場合はこのステップを踏んで、現在は十分に適応、再起の場所にいる(むしろその先?🤣)と思っていますがこれは10年近い日々を過ごしてきたからです。


当時はまだ経験も浅い30歳の自分が右往左往していたのです。

今だからこそノートを見て、前に研修を受けたときにメモしていたあのステップをやってきたんだな~と穏やかな気持ちで振り返ったり
「子どもの障害受容」だけでなく、
自分や周りに起こる予期せぬ出来事対しても長いステップで受け入れられるようになりました。


ただそこに絶対的に必要だったたったひとつのもの。


それは、自分以外の誰かとそのことを共有すること。


無、であった時も
絶望、不安の時も
現実逃避した時も

いつも私には話を聞いてくる誰かの存在がありました。


その人が解決してくれた?
そんなわけはありません。


目の前の、子どもの状況はなにひとつ変わっていないのです。

うちの場合でいうと、聴力がよくなったわけでもないし
体の発達など、目覚ましく伸びたわけでもなく
病院通いの回数が減ったわけでもなく
むしろやることがどんどん増えていった記憶があります(笑)


変わったのは何でしょう。



受容ステップにとって大切なことは
ひとりひとり違うのかもしれないけれど
それを見つけられるベビーシッターでいたいなと思います。


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