当たり前は当たり前ではない
今日は「当たり前」は「当たり前ではない」ことに気付き、感謝の気持ちを持つことで「幸せ」を実感できるということをお伝えします。
私は幼少期から左耳が難聴です。
レベルは超高度難聴、いわゆる「聾」というレベルです。
日常生活では自分自身の左側に居る人に話し掛けられても、ほとんどその人の話している事を聞き取ることができません。
特に、雑音の激しい環境では左側から話し掛けられると全く聴こえず、「もう1度お願いします」と聞き返すことが多々あります。
私は聞こえる右耳を駆使し、現在のところ不自由なく生活を送る事ができています。
そんな私にとって他の何よりも怖い事があります。
それは「右耳の聴力を完全に失う事」です。
右耳の聴力を失うと私は完全な両耳難聴となり、日常生活に大きな支障が出ます。
ある時、「右耳を失ったらどうなるか」というテーマでメモ書きを行いました。
もしも右耳の聴力を失ったら、言葉を使ったコミュニケーション、自然の音や音楽を楽しむといった今当たり前にできていることができなくなるという現実に直面します。
そのような状況に直面した時、自分は今までに経験したことのない「苦しみともどかしさ」に襲われることでしょう。
このメモ書きの結果、次のアクションプランを立てました。
「明日右耳の聴力を失う、あるいは死んでも後悔のないように今を全力で生きること」
このポリシーに基づいて行動することで、恐怖に打ち勝つことができると考えました。
ちょうどその時、「サーチ・インサイド・ユアセルフ」という本を読んでいました。
その中で最も印象に残った部分を紹介します。
この本の95ページ、「活動中のマインドフルネス」という項目にある、ティク・ナット・ハンさんというベトナム出身の仏教者の言葉です。
『人は普通、水の上や空中を歩くのを奇跡だと考える。だが、ほんとうの奇跡とは、水の上を歩くことでも空中を歩くことでもなく、大地の上を歩くことだと私は思う。私たちは毎日、自分では気づきもしない奇跡に従事している。青い空、白い雲、緑の葉、子供の好奇心に満ちた黒い瞳ーー自分自身のふたつの目。すべてが奇跡なのだ。』
この文章を読んだ瞬間、脳に電流が走りました。
今この瞬間、右耳だけでも聞こえている・・それだけで奇跡なのだと感じました。
皆さんはこのようなことを普段の生活で意識されたことはありますでしょうか?
私は全く意識したことはありませんでした。
知らないうちに「いま生きていることが当たり前」になってしまっていたのでしょう。
更に、自分の脳に電流が走る出来事が起こります。
6月の半ば、久しぶりに親元に帰った時のことです。
実家で自分が産まれたばかりの頃〜幼少期の頃のアルバムを見つけました。
アルバムをめくると、産まれて暫くして寝ていたり、父に抱っこされていたり、お風呂で泣いている写真などが目に入ります。
このアルバムを見ていると、
「今生きている事って、奇跡だな」
「こんなにもたくさんの愛情を貰って育ったんだな」
そう強く感じ、自然と目から涙が溢れてきました。
私は二卵性の双子です。片割れは女性で、私が産まれた14分後に産まれています。
母に聞いてみたところ、私たちは自然分娩で産まれたそうです。
当時は「双子を自然分娩で出産することはほとんどなかった」と言っておりました。
この言葉を聞いて、改めて
「今生きている事がすごく奇跡で有難いことだな」
と実感しました。
その日は両親に加え、祖父母と一緒に夕食を摂りました。
幼少期の自分について問いかけると、両親も祖父母も懐かしみながら笑顔で教えてくれました。
・なかなか歩かなかったよね〜
・双子の妹のミルクを奪って飲んでいたっけな〜
心から笑顔になっている両親と祖父母を見て、とても嬉しい気持ちになりました。
そして、最後に自分から感謝を伝えました。
「今日、幼少期のアルバムを見ていたんだよね。
そしたら、今生きている事が奇跡で幸せで有難いことなんだな〜と感じたよ!
ここまで育ててきてくれてありがとう!」
両親も祖父母も嬉しそうな顔をしていました。
その後、改めて自分の境遇について考えてみました。
左耳が聞こえないことは変えることのできない事実です。
しかし、そんなディスアドバンテージがあるからこそ
「日常の当たり前」に「奇跡と幸せ」を感じて感謝の気持ちを忘れず、明日右耳の聴力を失ってしまう、あるいは死んでしまっても後悔のないように全力で人生を楽しみたい
と思います。
まとめます。
普段生きているとついつい忘れてしまう「当たり前」があると思います。
これらの当たり前が当たり前では無いということに気付き、感謝の気持ちを持つことで「幸せ」を感じる事ができます。
何か辛い事があった時や悩んだ時、このように考えることで前向きな気持ちになれるはずです。
皆さんの今後の生活に、私のスピーチが生きれば何よりの幸いです。
以上で私のスピーチは終了します。
ご清聴、ありがとうございました。
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