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「幸せ」をかんじるとき???

あっという間にお盆の季節。もう2020年も4ヶ月で終わるのかあと思うとしみじみします。私は今年の目標を達成できるのだろうか。そもそも仕事のことばかり考えていてプライベートの目標はなんだったのかさえ覚えていない(考えていなかった)気がします。

数日前、雷がゴロゴロ唸った後にとても綺麗な青空が出てきた日のこと。ご縁あって会うことになった方に「どういうときに幸せを感じる?」と聞かれた。たぶん相手は全く深い意図なく質問していたのだけど、妙に引っかかってしまった。哲学的に正しい答えを見つけるためじゃなく、自分の頭の整理のために書いてみたい。

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幸せを感じるとき、
美味しいご飯を食べたり、好きな本を読んだり、猫と触れ合ったり、家族や友達と談笑してるとき、趣味に没頭しているとき、欲しかった物を買うとき。一般的にはそうなのかもしれない。

でも数年前の私はそれさえ感じられないほど、心此処にあらずで何をしてても無感情に近かった。現実は仕事も人間関係も順調で普通に見れば幸せな状況だったのにも関わらず、「幸せってなんだろう?」と疑問に思っていた。

-美味しいご飯はたしかに美味しい、けどこれは幸せなのか?
-友達と日常の出来事を語り合う、これってどこが幸せなの?

いつも「幸せとはなにか?」を自問自答していた。その答えを探すため、仕事終わりには良く本屋さんに行って週に10冊以上本を読み荒らした。でも知識が増えるばかりで全く解決できなかった。結局、幸せの正しい答えが見つからず、目標ばかり大きくなって、この目標が叶えられたら幸せになるに違いないと思うようになったりした。益々幸せが遠く感じる負のスパイラルに陥っていた。

あれから3年経った今、
私は「幸せ」を感じられるようになってきたと思う。いくら本に書いてあっても分からなかった"幸せは目の前にたくさんある"ということを理解しつつある。空やお花を見たり、風が気持ちいいことに幸せを感じる。小さな幸せの中に大きな幸せを見つけられる自分が好きだし、そんな自分で在れることがすごく幸せだなと思う。

結局のところ、幸せは自己満足で自愛なのかもしれない。けど、それで自分が満たされたり他人に優しくなれるなら、それが良いんだと思う。人に優しくできるようになると愛あるコミュニティが出来てきて、もっと優しい世界が広がる。優しさ=愛 だから、みんなもっと自分を愛す必要があるのかもしれない。(けど間違った愛し方には注意が必要かも)

ちなみに、自分の持っていた正しさを手放して、このままの私で何が悪いと開き直ってから、「幸せ」を感じられるようになったと思う。開き直る前にずっとフタをしている負の感情と対峙する過程があるけど、きちんと向き合えるようになるまで何年でももがけば良いと思う。その葛藤は魅力となるし、そういう人はすごく美しい。その姿を誰かが必ず見守ってくれている。

あと、反対に分かったこともある。
美味しいご飯を食べていても幸せじゃない時があること!好きじゃない人に気を遣って食べるコース料理ほど不味いものはない。いや、美味しいんだけども"幸せ"ではない。(だから東京を離れて地方で暮らすととっても楽になるからオススメ。誘いを断るための言い訳を考えるストレスがどれほどあったか分かるはず。笑)

好きな人となら不味くても美味しく感じるのか、料理の味よりも相手のことが気になるから味を評価する隙間がないのか。。とにかく何でも一緒に居られることが幸せだと感じられる相手は、大切に永く一緒にいられたらと思う。そしていま、そう思える人しか周りにいないこと、そういう人との出逢いしかないことがとっても幸せだ。

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