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SCD家族それぞれの軌跡5 [夫篇❺]

まるで小説のよう

 夫には、再びクリスマスイブは訪れませんでした。2003年2月6日に夫は天国に旅立ちました。
後一か月すれば、長女が20 歳になる年で、享年53歳でした。最期は療養型の病院で迎えました。夫の希望した通り、胃ろうや気管切開をして体を傷つけることなく、死を迎えました。

 義兄と病院に迎えに行きました。その日初めて見る医師と看護師数名とが、深々とお辞儀をして、夫を見送ってくれました。最期はやけに丁寧だなって、半分感心したものです。
同乗してくれた義兄に、「お義兄さん、すみませんでした。自宅で世話ができなくて!〇〇さん(夫)は、幸せだったのですかねぇ」と詫びました。
義兄は、「ばあばさんはよくやってくれたと思う。〇〇も幸せだったと思うよ。」と言ってくれました。社交辞令だったとしても、その言葉に救われました。
 夫の通夜は、冷たい雨が降っていました。
一階の居間に夫を安置して、和尚さんの読経を受け、私は弔問客に対応していました。二階では、近親者が集まって食事をしていました。
三階では、長女が布団の中で横になっていました。抗がん剤治療中の長女は、葬儀に出席できませんでしたが、外出許可をもらって数時間家に帰ることができました。主治医は「本当は好ましくないけれど、お母さんが看護師だから、吐き気止めの点滴を持って行き、出来るだけ横になっていてください」と許可してくれました。
長女が父親と対面した時の反応が恐くてなりませんでしたが、冷静に、「お父さん、楽になってよかったね」と顔を撫でていました。長女の仕草が健気で、胸がつまりました。
 二階から「ばあば、来てー」と悲鳴が聞こえました。トイレから出てきた叔母が、突然倒れたのです。直ぐに駆けつけました。意識がありません。急いで救急車を呼び、近所にある総合病院に連れて行きました。

CT検査の結果、手の施しようのない脳出血だと言われ、そのまま入院になりました。叔母が入院するまで、私が付き添いました。留守番は長男に頼み、長女の友達が、長女を病院に送って行ってくれました。私を可愛がってくれた叔母は、それから2週間後に息を引き取りました。
夫の通夜は、てんやわんやの夜になりました。

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