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SCD家族それぞれの軌跡18 [次女篇❻]

次女とともに生きる

 睡眠不足が続くと、冷静な判断や客観的思考が出来にくくなります。この状態を打開するには、声を上げるしかありません。
私は限界かもしれない」と。

 訪問診療の医師、訪問看護師、障害者相談支援員、保健婦、ヘルパーさんに、現状をありのままに報告しました。そこで対策が練られました。2013年です。

  1. 医療的ケアーが必要な利用者を受け入れる生活介護施設に通所する。

  2. 定期的にレスパイト入院をする。

  3. 週一回、長時間訪問看護を取り入れる。

 その後、症状の進行に伴い、2014年に夜間のみ呼吸器装着、3年後の2017年には24時間呼吸器装着になり、現在に至ります。今は障害福祉サービスを最大限活用しながら、穏やかな日々を過ごしております。贅沢を言えば、もう少し次女の反応が良いといいのにな。

夫、長女、次女を通して、思うことがあります。

  1.  夫は在宅ではなく、障害福祉施設を選択しましたが、当時、重度訪問介護に出会っていたら、たとえ私が仕事を続けていても、自宅で介護できたかもしれません。(介護保険制度はまだありませんでした)

  2. 遺伝性疾患の受診のタイミングは、何時が良かったのか、未だに答えが出ません。(長女、次女とも悩みました)

  3.  障害福祉サービスや自治体独自のサービスは、遠慮せず利用した方が良いと思います。そのためには、アンテナを高くして情報を得る必要があります。

  4. コミュニケーションの問題は大きく、意思伝達装置の導入は早めに検討した方が良いと思います。問題点は、申請しても審査を通らなければなりません。進行が早いと、使いこなすのに時間がかかります。機器業者から借りられるデモ機は、一週間の期間制約がありました。何時でも借りられて、十分練習できる機器貸出システムがあればいいと思います。

  5. 胃ろう、気管切開、呼吸器装着など、難しい選択を迫られますので、どう生きるかという点に関して、家族と話し合いをしておくと良いと思います。

  6.  介護者が一人だと、孤独です。他人の力を借りましょう。私の場合ですが、自治会長、民生委員、近所の方が助けてくれます。(声かけだけでも嬉しい)


 今や物言えぬ次女を見て、「生きる意味」を考えます。難しいことは分かりませんが、「生きていることが生きる意味なのではないか」と。

 このように書き進めていくと、SAY-プロジェクト(*)が目指す三つのことが、いかに大事なことかと改めて感じます。神経難病患者の生き難さを、どのようにしたら生きていて良かった、と思える人生に転換できるのかという姿勢がよく理解できるのです。どれをとっても一朝一夕には出来ない壮大なテーマだとは思いますが、継続は力なりです。

事務局の皆様に最大限の敬意を表して、私のコラムを締めさせて頂きます。

長い間、お付き合いくださり、ありがとうございました。

−SCD家族それぞれの軌跡・完−

(*)SAY-プロジェクト=神経難病“安心予後”プロジェクト
(2018年3月〜2022年9月)
『神経難病患者が安心して予後の生活を送れるようにすること』を目的として活動したボランティア団体。「指定難病医療費助成 更新手続きの簡素化」を求める署名活動と「神経難病の緩和ケアの保険適用」を求める署名活動を運営し、厚生労働副大臣に署名簿と要望書を提出する。→署名活動のご報告


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