やさしさについて

仕事柄飲食店の人と会うことが多いのだけれど、少し前、コロナで大分ダメージを負ったのか、その人と会った時に以前と違った印象を受けた人がいた。

その人を見て、何かその人の壁を壊してしまった事があったのだろうと感じた。というのも、以前より弱々しく、柔らかい微笑みを浮かべていたからだ。そして、どこか自分自身に向けて話しているようなところもあった。それを見て、この優しさは臆病な優しさだと思った。

優しさには、自分の世界が広くなって、或い余裕ができたことで優しくなる優しさと、自分が傷ついて、傲慢さが消え、より相手へ向き合った形の優しさ、それに自信をなくし、防御としての臆病さを伴った優しさがあると思う。

問題は、それを感じた時に、これは優しくなったように見える弱さだな、と思い、そしてそれで済ましてしまったことだ。

その後もっと親しい人に同じような臆病な優しさを感じた時に、もしこの人に自分がその優しさは臆病さからくるものだなんて思っていることを知られたら、この人はどれだけ傷つくだろうと考え、自分の頭だけで、所詮他人事として考えていることについて恥ずかしくなった。

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