幾何学をいくつ揃えた空感
昨年この展示企画を知るとき、そのタイトルは「キュビスム・レボリューション」であったと思う。そのタイトルの字面の仰々しさに、わたしはiPhoneのメモにまとめた 行きたい美術展リスト で、タイトルの末尾に☆マークをつけていた。(🌏🏴☠️⭐️)
革命と聞いて真っ先に私が思いついてしまったのはトランプゲームの大富豪であった。
同じマークの連続した数字のカード4枚か同じ数字のマークのことなるカード4枚かを卓上に叩きつけることでそれは起こる。
さて、このキュビスムという革命は、アフリカの造形物に影響を受けて《アヴィニョンの娘たち》を描いたピカソと、それに衝撃を走らせたブラックの、これまでの西洋の美の常識を無視し覆すという意識から生まれた対話により繰り広げられる。手法として、セザンヌが残した「自然を円筒形、球形、円錐形によって扱いなさい」という言葉に呼応した簡素な幾何学図形がキャンバスに重ねられた。
下図は趣味として愛用しているグラフィックデザインのアプリで作ったものであるが、トランプのマークを作るとき、どれも◯と△で構成できる。
簡素な図形を用いた革命として、キュビスムという芸術運動も、トランプのゲームにおける貧民による富豪たちへの復讐も、なんだか繋がっているようで、そう思いついたときわたしはニヤリと笑った。
◯
「芸術の大革命
キュビスムが従来の絵画からはっきりと峻別される点は、キュビスムが模倣の芸術ではなく、
創造にまで高まろうと目指す概念の芸術であるということだ。」
と、アポリネールは言った。
現代芸術は 感情の放出 か 絵画にしかできない表現手法の模索 として、成る。キュビスム絵画なんて特に後者であり、私はただ、幾何学的で多面的で、思考も手法も荒削りな美しさに圧倒されてニヤリとする。
この頃、白黒ではあるがそっくりそのままを残すことのできる黒い箱が轟かす。確かに写真や映像の方が確かであるが、ひとの感覚や嗜好思考志向に贔屓されてその人の都合よく解釈された、歪められた記憶も尊い。
そんな風に、私はキュビスム絵画が好きだ。
◇
そもそも美術館は、絵画との運命の出会いをもたらす場所である。
私と同じように絵を観るひとたちは、ノイズにもなり得るのだが、その出来事ひとつで、目の前の絵が私に運命を感じさせることは、容易いのだ。
以下はそんな記憶
ブラックの静物画が並ぶところで近くにいたお兄さんのシャツの皺がまさにブラックの絵の筆致のようで、よかった。
この絵の中の世界は現実世界を切り取り再構築したもの。だから現実味を帯させる素材を加える。「あなたが見ているのは絵の中の別世界ではない。
カンヴァスに塗られた絵の具と、そこに混ざった異物だよ。」
けれどこれは現実世界をキュビスムで描くのではなくて、キュビスムの世界を風景画としているような気がしてならない。
しかしわたしは右下の渦巻きのようなお腹の音を小さく響かせ、現実世界に意識が戻る。絵からの視線に苦笑う。
私はフリルを愛しているが、フリルはキュビスムからできているのかもしれない、かなり尊い。
と、思ったとき、白のロリイタファッションのガアルがわたしの隣に立った。わたしがそこを離れる数秒後にこの絵と正面から対峙することになるその瞬間、この絵は彼女だけのもので、わたしはそれを目の当たりにすることを許されないような気がして去った。
背の高い女性がロングスカートの裾を翻す。ヘッドホンから流れる音楽が、それを促すようだった。キャンバスの中はダンスホールで、だからこの絵の前で、どなたか踊ってくれないか ということを願っていた時間があった。本当はわたしが踊りたかった。
(0:50~)
□
さてとまた街へ繰り出されれば、なんだか街はきゅびずんで見えてしまう
ね
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