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ヴィクトリーヌ・ムーラン(メモ)

マネの〈オランピア〉のモデルとして有名なヴィクトリーヌ・ムーラン(画像左の母親役のモデルもしている)

エドゥアール・マネ〈鉄道〉、1873年

・1844年生まれ
パリ生まれのパリ育ち
父母は職人(つまり労働者階級)
・16歳の時にアカデミズムの画家クチュールのアトリエでモデルをする
・裁判所でマネと出会い、1862年~彼のモデルをするように(18歳)
・ギターやヴァイオリンのレッスン教師をしたり、カフェで歌うことも
・1862~63〈草上の昼食〉(18~9歳)
1863年〈オランピア〉(19歳)
→特に〈オランピア〉でこっぴどく叩かれる
「メスゴリラ」「風呂上がりのトランプの女王」
しかも、自信作の〈オランピア〉を叩かれ、ショックを受けたマネはスペインへ
(ヴィクトリーヌはどうしていたかは不明)
・その後、ヴィクトリーヌ自身も絵のレッスンを受け始めるが、アカデミズムに惹かれていたせいで、マネが反発。疎遠に。
→〈鉄道〉(上)が、マネのモデルをつとめた最後の作品
・その後、サロンに作品を送るようになり、6回入選
・モデルも1880年代頃まで続けていた
・1927年没
・画家として一定の評価を受けていたものの、現在まで残っているのは2点のみ


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