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たった一回の人生では語れないもの

子供の頃、「いい大学に入っていい会社に入ることがあなたにとって幸せだと思うから勉強をしなさい」と言われ続けてきた。
幼いながらに「自分の幸せ」を定義されることがすごく嫌だった。
とにかく親の定義する「幸せのルール」を壊したくて、大学には行かず、とにかく反抗をし続けていた。
結果として大学に行かなかったことはとても後悔しているし、大きなコンプレックスにはなってしまったけれど、別に私は不幸にならなかった。
母親の決めた「幸せのルール」はあくまで母親が駒を進めてきた人生ゲームの中で適用されていたものだった。
自分の人生ゲームの攻略法はまだ全然わからないけれど、「こっちかもしれない」と思う方向に常に全力で走ってチャレンジしている私の姿を見て、母親はもう「あなたにとっての幸せ」を強要することはなくなった。

仮に輪廻天生というものが本当にあったとしても、実際に前世の記憶がある人はいない(たぶん)し、みんな一度きりの人生経験でしか物事を語れない。
「幸せ」の基準も人によって全然違うし、逆に「不幸」「悲しい」といったネガティブな感情が生まれる要因も人それぞれだ。

もちろん「人を殺してはいけない」といった倫理的な話や、「健康が大事だ」みたいな話はあるのだけど「この生き方をすれば絶対幸せだ」という方法は存在していない。
ただやっぱり自分が「正しい」と思う人生をそれぞれが歩んでいるから、その定義を外れている人に対して「あなたのことを思って」正そうとしてしまうのだと思う。
本来、他人の人生の幸せを定義するなんて、とてもおこがましいことなのに。

とまぁ偉そうなことを言っているが、私もつい後輩に対して「あなたのことを思って〜」と言ってしまうこともある。
もちろん大事な人が本当に困った時、不幸だと感じている時には全力で手を差し伸べていきたいけれど、たった一回きりの人生でしか知り得ていない「幸せの定義」を誰かに押し付けることはなるべくしないように気をつけていこうと思っている。


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