生き物を飼うということ -さよならフリーニャンス−
まるもにはフリーニャンスという猫がいた。
可愛い。
まるもにいつも遊びに来て、入り口のところに座りながら私たちフリーランスの仕事ぶりを見守ってくれていた。
ある時は、田舎フリーランス養成講座の終了パーティーにも来て、1ヶ月間頑張ったみんなをお祝いまでしてくれた。
こんなふうに、毎日まるものみんなを癒やし続けてくれたのだ。
でも、ある日から急に姿を見なくなった。
みんなが「フリーニャンス」とツイートした日付を見ると、今年の3月辺りまでは来ていたみたいだ。
「猫は死に際を見せない」というから、亡くなってしまったのかもしれない。
みんなそう思っていると思う。
でもフリーニャンスは、まるもで正式に飼っていたわけではないので、来なくなってしまったことについて、みんなあまり話に出さなかった。
出さなかったのか、出せなかったのか。
時々まるもの近くで猫を見かけると、フリーニャンスのことを思い出す。
色の似ている猫を見かけたとき「あ!フリーニャンスだ!」と一瞬思ったが、顔が違った。
とても寂しくなった。
生き物は可愛い。
ペットとして可愛がっていたらなおさらだ。
最近、実家で飼っていたエルという名前の犬が亡くなった。
エルは、祖母の家の近所の人が引っ越しのときに置いていってしまった犬だった。
その後、祖母が飼い始めたが、祖母が亡くなってからはうちで飼うことになった。
それが2年前。
私がエルと一緒に居れたのは1年くらいだったと思う。
それでも、「最期まで頑張ってたよ」と聞いた時は涙が止まらなかった。
書いている今も涙が溢れてくる。
「色々あったけど、最後は楽しかったな」と思ってくれていたら良いなと思う。
たったの1年しか一緒に居なかったのに、こんなに寂しい。
母も「2年くらいしか飼っていないのに、こんなに寂しいなんて思わなかった」と言っていた。
生き物を飼うということはそういうことだ。
こんなに寂しいなら、もう生き物は飼いたくないと思った。
生きていたら、必ず別れは来る。
分かっているけれど、いざそのときになるとやっぱり寂しい。
まるもは、「別れ」とはどんなことなのかも教えてくれる、たくさんの出会いと別れがある場所だ。
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