サッカーとの出会い
うちの両親はサッカーをしていました。
父だけでなく母もサッカーをしていたので土日はいつも母のサッカーについていってはグラウンドの脇で遊んでいました!
昔から加藤家の生活の中心はいつもサッカーでした。
(唯一、兄だけはサッカーを早々やめ、東京で劇団俳優をしていますがサッカー好きです笑)
小学校3年生から私はサッカーを始めました。母からは「キャプテン翼の若林くんになりたくて始めたんだよ。」と聞いていますが、紛れもなく両親の影響です....(笑)
姉と私は同じ時期にサッカーを始めました。が、私は姉のように特別運動神経が良いわけでも、俊足でもなく、平凡な選手でした。
姉のように、期待を背負っているわけでもなく自由にサッカーをさせてもらってきました。
でも、父の名前は多くの人に知られていた為、県トレや国体練習に行けば当然「加藤さんの娘だ!」と騒がれました。
......すごく嫌でした。
「そんなに上手くないのに。そんなんで注目されたくない。」と。
選抜に選ばれても、スタメンになっても、父の力なんじゃないか。といつも思っていました。
サッカーは別にそこそこでいいや。って思うようになり、中学はソフトボール部とサッカーの両立。むしろ、ソフトボールに打ち込んでいました。
そんな中、高校は父の勧めで愛知県トップの高校に進学する事になりました。この選択が私にとって転機だったと思います。
高校では、サッカーに再び没頭しました。とにかくサッカーが楽しくて、部活のためだけに学校に行っているようなもんでした。
そんな高校時代。
父との忘れられない思い出があります。
私は3年生になりキャプテンになりました。
私の高校は愛知県では数年負け無し。全国大会も毎年出場していました。
高校最後、夏のインターハイ予選!3年間の集大成!
結果は負け。歴史に残る敗戦。
相手は父が監督をするライバル校でした。父は私の高校を倒すため、5年間ずっと頑張っていたそうです。
親子対決.....。
父の夢が叶った瞬間に、娘の夢が途絶えました。
受験勉強のために、この大会で最後と決めていた仲間。結局一緒にインターハイに行けず引退してしまいました....
私は何にも手がつかず、サッカーを見るのも嫌なくらいサッカーが嫌いになりました。きっと初めての挫折でした.....。
そんな私に父は一言、
『強いチームが勝つんじゃなくて、勝ったチームが強い。』んだと。
かなりメンタルをやられました。
けど、今のままでは全国大会に行けないと父が教えてくれたのでしょう。
敗戦後、チームは0からやり直しました。その結果、冬の最後の選手権大会では父の高校を倒し、全国大会でも初ベスト16を遂げることができました(私はPK戦で外すがなんとか勝利)
今だから言えますが.....(笑)
親子であろうが、ライバル校。家ではバチバチでした。普通なら、父に話したいサッカーの話も出来ません。
試合が終わって、私が勝って家に帰ると父はイライラしてる(笑)
娘だからと、私の応援をするのではなく、全力で娘を潰しにくる。それこそ、加藤家の教育。
そんな父が唯一、声を張り上げで指導してくれた事がありました。
全国大会、2点負けている状況。このまま試合が終われば引退。
「あづさ~。勝ちたいんやろ?だったら仲間を信じて前線ではっとけ~」と。
結局負けてしまいましたが、あの時感じました。父は、本当は私の事をずっと応援してくれていたんだと。
きっと、高校時代に父にボロボロにされていなければ今の私はいなかったと思います。感謝の気持ちでいっぱいです。いつも私の味方でいてくれたお母さんも、感謝するばかり。
私は、サッカーでは生きていけないけど、サッカーを通して加藤家で学んだ事。自分の力に変えて、結果で返します!
そして、父といつかまた何かで勝負をする事(ゴルフ?とか)があれば、勝って言ってやりたい。
『勝ったものが強い!』んだと(笑)
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