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4:永遠に聞けなくなったサイン

 おばあちゃんは多分、電話が好きではなかった。

 本人に訊いたわけではないし、直接告げられたわけでもない。真実は分からない。完全なる憶測である。でも、『好きではない』という表現は、案外的を射ている筈だ。

 おばあちゃんから電話が来るのは稀だった。
 大抵、お中元やお歳暮が届いた時ぐらいしかかけてこなかったと記憶している。それも、すごく短い。
「お中元の品、届きましたから。はい、はい。ええ。それじゃあお元気で。はい、さようなら」
 そして、ガチャン! と切る。もう、受話器を叩きつけて壊すんじゃないかと思うくらい、勢いよく切る。余りにも勢いが良いものだから、ガチャン! の中に金属音が混ざり込んでいて、私はいつも少しだけ(否、かなり)不快な気分になった。
 同時に、なんで性急に切ってしまうのだろうと疑問だった。
 ある時は、「さようなら」を返す前に切れてしまう。またある時は、おばあちゃん自身が「さようなら」を言っている途中で切ってしまう。そういう時、こちらには
「それじゃあお元気で。はい、さよう(ガチャン!)」
 と聞こえているので、一周回って笑うしかない。
「そんなに早く切らなくたって良いのに!」と剝れる私に、母はよく「おばあちゃん、せっかちなのよ」と笑って諭した。

 我が家から祖母宅に電話をかけても、対応は変わらない。
 率先してかけたのは母だ。例えば、おばあちゃんから宅配便が届いた時。おばあちゃんが暮らす県が、地震や豪雨などの災害に襲われた時。短い時間でも良いからと受話器を取った。本来なら実の息子である父が電話をするのが正しいのかもしれない。母もよく、「お父さん、お義母さんに電話してあげて」と言っていた。が、当の本人は面倒臭かったのか(或いは照れ臭かったのか)「んー」と唸るだけで、腰が重かったのを憶えている。
 私も電話をかけた。現金を頂いた時は可及的速やかに電話した。最後の『ガチャン!』が嫌過ぎてあまり気乗りしないのが本音だったが、かけない選択肢が無かった。母の「孫の声を聴かせてあげて」の一言も、非常によく効いた。

 電話口で喋るのが誰であっても、おばあちゃんは「はい、はい、そうですか」を繰り返した。質問にはきちんと回答するし、時々は彼女の方から尋ねてくることもあったけれど、それでも基本は「はい、はい、そうですか」
 おばあちゃんが、早く電話を切りたがっている雰囲気が伝わってくる。
 でも、敢えて私達は会話を引き延ばした。
 通話の目的を伝え、体調は如何かなどの質問をする。一通り話が終わって言葉が途切れる。じゃあそろそろ……って空気を察した瞬間、「○○に代わるね」と言って受話器をバトンパスする。この流れを、その時に在宅していた人数分繰り返した。
 そして最後はやっぱり
「じゃあ、おばあちゃん。元気でね。また電話するからね」
「はい、はい。ありがとう。お元気で。はい、さようなら(ガチャン!)」
 通話時間が、それなりになる。何だか私達は妙に「やり切ってやったぜ!」という気分になる。

 後に、祖母宅にお邪魔して、おばあちゃんと触れ合うようになって気付く。
 おばあちゃんは多分、電話が好きではなかった。
 寂しかったのだ。
 電話口に向かって、目に見えない人と話すのが寂しかったのだ。
 お喋りの時間が長ければ長くなる程、その時間が終わってしまうのが哀しかった。名残惜しかった。でも、「もう少しだけ話していたい」とは言えなかった。
 勢いよく『ガチャン!』と受話器を置くのも、相手に先に切られて『ツーツーツー』を聞くのが嫌だった。
 だから、おばあちゃんは稀にしか電話をしないし、電話をしてもすごく短かったのだ。


 晩年、おばあちゃんは認知症になった。
 いろいろな行動が制限された。祖母宅の、黒電話も撤去された。
 あの不快だった『ガチャン!』が二度と聞けないのは、寂しい。

(続く)

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