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寒空に消える煙は虚空とは呼ばない


冬の代名詞とも言えるおでん、あの袋を割った時の感動を味わいたくて私は餅巾着を食べるんだろう。

自室のドアを開けると冷たい風が頬を切った。悴んだ手で行き先階のボタンを押す。早足で駅へと向かいながら次の電車を調べていると、ぽんっとiPhoneが鳴った。

「ごめん、ちょっと遅れるわ」

彼女は申し訳なさそうな顔のスタンプを送ってきた。
小さく息を吐いて歩く速度を緩めると、私はポケットから煙草を取り出した。大学4年の冬。

男女の友情は成立するのか。この世界で1番答えの出ない、そして世界で1番体の良いこの問いは、飲み屋でも電車でもホテルでも部室でだって囁かれる。
私と彼女の関係は、おそらく友人なんだろう。大学1年の時に私がふざけてかわいいよと言ってから、みんなの前では何だかんだ嫌う素振りをみせるくせに、2人でご飯に行く時はしおらしくなる。そんな彼女は私の大切な友人だ。とはいえ、とはいえだ。私は本当に彼女のことが好きだし、あまつさえ結婚してもいいと思っている。本人に言うと怒られるのであまり口にはしないが。


大阪メトロ御堂筋線、新大阪駅で下車する。別に新幹線に乗る訳でもないけど、今日はみんながよく行く飲み屋街からは離れたかった。

「せっかくだから」

彼女はよくこの言葉を遣う。このせっかくには色んなことが隠れている。ひとつひとつ丁寧に読み取ってもいいけれど、そうしないのが優しさだと思う。今日もせっかくだから、いつもとは違う場所で飲むことにした。2ヶ月に1度は飲みに行く私たちは、目的地を定めないことが暗黙のルールになっていた。

新幹線の改札前で会う。身長の高い彼女は、カジュアルなニットワンピにリュック、スニーカーと動きやすそうな格好だ。首元には赤いマフラーを巻いていた。
今日もかわいいなと零すと、肩をパンチされる。照れ隠しだとわかって調子に乗るけれど、やりすぎると拗ねるので深追いはしない。
じゃれながらふわふわと宛もなくさまよう。少し広めの暖簾がかかったお店に入る。正直外が寒すぎて、どこでもいいから入りたかった。


運ばれてくるビールの泡に目を奪われた。待ちきれないでいると、彼女は溜息をつきながら先に飲みなよと言う。1杯目は乾杯することをポリシーにしている私は、首を横に振る。彼女の梅酒が運ばれてくる。お酒の強い彼女は、まるで水でも飲むかのように梅酒を飲む。乾杯、と小さくも芯のある声でグラスを響かせる。
もう毎日会う生活も無くなるのか、少し寂しいなと心の声が口にでてしまう。私は就職で彼女は大学に残るのだ。大きな目をぱちくりさせて、彼女は私の肩をパンチする。

運ばれてきたのはおでん。大根に卵に牛すじ串、はんぺん、竹輪に餅巾着。思わず感嘆の声が漏れる。
「これは私の」そういうと彼女の箸は卵をつかみ、連れ去ってしまう。負けじと彼女の皿に移された卵を半分に割ると、私は輝く半球を口にする。
大根はすっと箸が入るし竹輪は味が染みててお酒が進む。飲み会ってやっぱりこういうものであって欲しい。

お嬢様な彼女の所作に見惚れてしまう。普段は少しやんちゃで天然で世間知らずなのに、ご飯を食べ始める時には一呼吸置いてからいただきますを言ったり、箸を操る時やお皿を寄越してくれる時の指使い、座る時の仕草に否が応でも惹かれる。やっぱりずるい。
誰かはやく彼女を貰って欲しいと思う一方、渡してなるものかというちっぽけな独占欲も顔を出す。別に私のものじゃないはずなのに。彼女にとって私は何なのだろうか。まだ少し、勇気が出なくて聞けない。

一段落すると、私はレモンサワーを飲みながら煙草に火をつける。私は右手でしか煙草を吸わない。もしかしたら左手で触れるかもしれない、煙草の匂いをつけて帰すのは得意じゃない。少しずるいか。
目の前で煙草を吸うと彼女はにっこりと笑う。口から出る煙が消えるまでのゆっくりとした時間が好きらしい。たかがそんなこと、その感覚が私は愛おしくて仕方がない。

大勢での飲み会では控えめなのに、2人だとしっかりお酒を飲む。4杯目のグラスで氷が音を立てる。時刻は23時。
そろそろ帰らないといけない。お互い単位を取りきって大学の講義はもうないし、明日はお休みだけど。私と彼女はそういう関係じゃない。
彼女はサークルの同期だ。だから、私の前の彼女もその前の彼女も、さらにその前の彼女のことも知ってる。

ほろ酔いの彼女がふにゃりと笑う。こんなかわいい顔を知ってるのは私だけでいい。思わず頭に手が伸びる。手入れされた長い髪が指を流れていく。普段はぜったいに触らせてくれないのに、今は気持ちよさそうにしている。

そろそろ出るよ、ささやくと後ろをにこにこしながらついてくる。いつも私がお会計をすることが分かってるのか、彼女はするりと私の隣をすり抜けていく。私にとっての当たり前が彼女の当たり前になっていく、多分これは幸せなんだろう。

乗り換えの階段で別れの挨拶をすると、私は左手でイヤホンを耳につける。駅のホーム、急行列車は彼女の影を連れ去った。少し甘い煙たげな息が視界を満たした。


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