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春についての所感

こんな風に心に移りゆくよしなしごとを思考の奥底に沈めないのはいつぶりか。つまるところ、少しだけ頭に浮かぶ映像を久しぶりに文字にしたかったんだ、というお話。

雨が降ると桜を想うこの季節が好きだ、自分が花粉症だということを差し引いても嫌いになれない。寒かった朝の光は陽だまりになって頭を溶かす。ぼうっとした暖気に心が揺れて白昼夢を見せられてるみたいだ。

期限があることでそこまでの日々の価値は相対的に上がる。学生時代は3.4年の期限で区切られてきた生活が、死ぬまでというアップデートを施されたせいで霞んでしまう。今起きていることを今評価する事が出来ないのは、幸か不幸か足を前に出させる。どうか季節だけは忘れないでいたいと、こうやって夜になると月を見ながら歩くわけだ。

こんなご時世だけれど、門出はいつだって祝福されるべきだ。つまるところ、形式としての卒業は精神的な卒業に追いつけないのかもしれない。心が身体を追い越したんだよって野田洋次郎も歌っているし。
どうか甘い人生を送って欲しいと思う。苦しみなんてほんとはない方が良くて、人生におけるアクセントなんか辛くなくたっていいはずだ。色んな景色をみて脳が焼ききれるくらいまで考えて、たまにはお風呂にゆっくりつかって思い出に浸るなんて、そんな贅沢がどうか当たり前になりますように。
結局のところ救済とはどこにあるのか。もしかしたらシャツの胸ポケットとかあの人の唇とか雨の日の溝とかに隠れているのかもしれない。どうか時間をかけて丁寧に探して欲しい、ご卒業おめでとうございます。


一緒にお酒を飲む時、好きなお酒が同じだと盛り上がれる。好きなお酒が違うなら、それはそれで盛り上がれる。お酒を飲めない人と食事するなら、ノンアルコールで酔うのもわるくない。誰かと同じものを食べるという行為そのものが愛情の具現だとさえ信望してしまう。最近は焼酎を水みたいに飲んでいる。色がないところなんて水と同じだし。

私の近しくて近しい人が今日は私の誕生日だからとケーキを食べるらしい。こういうのを春というんだと思う。3月に生まれた私の特権だ。肌に香る冬の残滓は指をすり抜けていくけれど、春と冬は断絶したものでは無いと信じたい。

重ねてにはなるけれど、今日を祝ってくれた人、ありがとうございました。なんとか23歳を迎えられました、これからの人生全部赦されたい。

以上、この季節についての所感を少しだけ。

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