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【シン・ウルトラマン】お前は米津玄師のことを何もわかっていない

 よく来たな。俺の名前は覚えなくていい。お前はシン・ウルトラマンは観たか? 観ていないならさっさと映画館へ走れ。おれはスクリーンに映し出されたその映像に驚愕し、興奮してエキサイトした。そしてエンドロールのM八七を聴き、胸の中に刻まれていたウルトラの記憶と米津玄師がスパーク反応を起こし、心の中で吠え、呻き、そして・・・・・泣いた。それから数日間、おれは胸のうちに蘇った幼少期の自分と対話し、ひとつの結論に達した。つまり、米津玄鰤だ。

この記事は社会派コラムニストである逆噴射聡一郎先生に多大な影響を受けて執筆されています。逆噴射聡一郎先生についてはこちらの記事をご覧ください。


お前は米津玄師のことを何もわかっていない

 お前は米津玄師を知っているか? はっきり言っておれは米津原紙についてそうとうに詳しく、ハチとなのっている頃から知っているしライブにも3回行っていることからもけってい的に明らかだ。感電のMVを見るとやつは瞬間移動能力を持っているようだし、M八七では重力を完全に無視している。しかもダンスがうまい上に絵を書く才能もある。とうぜん歌手なので歌も歌えるし作曲もできる。楽器も演奏できる。しかもボカロPだ。これら特技の充実ぶりからいってウルトラマンエースと呼んでさしつえないだろう。「天は二物をあたえず」とかいうことわざを考えたやつのことをあほと言いたくなるが、そいつは米津玄師を知らずにしんだので仕方がない。
 それとも、米津玄師はもしかしたら外星人なのか? 身長が高いしダンスも妙にくねくねしているからお前がそう思うのももっともだ。しかしはっきり言っておこう。米津原子は人間だ。

 あれはこの世の音楽シーンが初音ミクによってDISTOPIA支配されると信じられていた時代の話だ。お前は信じられないかもしれないが当時のボカロは完全にメキシコであり、バーの掲示板に掲げられたランキング表に名を刻もうと毎日のように銃撃戦が繰り広げられ、昨日栄光を飾った歴戦のボカロPが次の日には何者かが放ったダニートレホによってサボテンに貼り付けられ無惨に死んでいるのが日常茶飯事だった。
 そして、米津玄師はとつぜんサルーンの扉を開いて現れた。やつは当時はハチと名乗っていた。うらなり野郎に見えたその男にバーにいた連中は銃をちらつかせタフさをためしたが、米津はニヒルに口角を上げただけだった。そしてたちまちメキメキと頭角を現した。WORLD’S END UMBRELLA、マトリョシカ、パンダヒーロー、ワンダーランドと羊の歌・・・・・やつは次々と危険な銃をギターケースから取り出し、血で血を洗う抗争に飛び込んだのだ。ハチが参入したことでボカロはさらに苛烈さをまし、この時代には他にもwowakaやDECO*27といったくるった才能が次々と現れ、そんな男たちを目指して後続がどんどん続いていったがそれはまた別の話だ。話を脱線させようとするな。おれは米津玄師の話をしている。当時のボカロはころしあいのらせんが吹き荒れるさつりくの時代だったということが分かればいい。

 そんな時、突然ハチはインディペンデントレーベルからdioramaというアルバムを発表した。米津玄師という本名名義でだ。米津玄師・・・・・その神秘的で危険な香りが漂う名前にただならぬ気配を感じ、おれは全身を震わせた。しかもアルバム曲は全て書き下ろしであり、これまで発表してきたいっぱつで100万人を叩きのめしてきたキラーチューン曲は一切収録しないという。おれは全身の肌が粟立つ思いだった。何故か? それはバンデラスがギターケースを放り捨て丸腰のままブチョのアジトに殴り込みに行くのに等しいからだ。そんなおどろきでもって迎えられたdioramaは……紛れもなくハチの音楽とは異なっていた。つまり、米津原始だったのだ。誰も信じようともしない抜き身の刃のようなギラついたサウンドと歌詞におれは酔いしれた。

 その後の米津はサンタマリアでメジャーデビューしてから立て続けにヒット曲を連発し、アイネクライネとかLemonとかで大ブレイクして国民的アーティストになったし紅白にも出た。米津玄師についての前置きは以上だ。いいか、おれのことを米津のハウ・トゥー・本やおすすめ曲botと思ったら大間違いだ。俺が話したいのはディスコグラフィー・コメッタリーやアーティスト・プロフィルではない。そんなものが見たければヤホーでググれ。おれが言いたいのは、米津の歌詞には真の男のエッセンスがつまっているということだ。

孤独や痛みから逃げ切れると思ったら大間違いだ

 M八七を例に挙げて説明しよう。「エッそれは人間とウルトラマンの関係性じゃないの?」「ゾーフィ目線の話では?」そんなものは庵野・オタクやウルトラ・オタクに任せておけ。始めに言っておくと米津の歌詞はもとから多義的にとれるようになっているからマルチバースの数だけ解釈がありその全てが正しい。だが、ここではもっとシンプルに歌詞にのみちゅう目しろ。

 米津の歌詞は砂漠とか孤独とか痛みとかくだらねえとかベイビーベイビビアイラービューとか一見するとネガティブで陰鬱でおちゃらけたような言葉が多いが、米津自身はそうは思っていない。やつは大真面目に歌詞を書いている。汗をダラダラ流していてその顔はkqんぜんにシリアスだ。よく挙げられるフレーズとして「どこにも行けない」とか「逃げ出したい」とかがあるが、やつの歌を注意深く聴くと「どこにも行けない」とはたとえ行く先が過酷なメキシコの荒野であろうと歩みを止めないことであり、「逃げ出したい」というのは「他人からは逃げてもいい、ただし自分自身からは逃げるな」と力強く歌っていることが分かるだろう。つまり歌詞の一部にのみ注目して「ふむふむこの作品は典型的な自己犠牲ヒーローをもとにしていて時代に合っておらず全く新規性がないですね」とかいうSNSバズ野郎は完ぜんにどうしようもなく、考察と感想と陰謀とメイクマネーの区別がつかない腰抜けブルシットにすぎない。

 いいか、死闘のさなか子供にギターを教えていたバンデラスのように米津が語りかけるのは、「孤独や痛みから逃げ切れると思ったら大間違いだ」ということだ。それは一見すると耳障りの良い言葉でおれたちを誑かし、谷底へ突き落とす無じひなブチョのようにも見える。「こんなのってないよ! 誰か助けてよ!」・・・・・暗い谷底の中、幼少期のヒーローごっこで怪獣役をやらされボコボコにされたり、もしくはドンキーコング役やザンギエフ役をやらされボコボコにされた記憶が蘇り、お前は谷底で身を丸め、すすり泣いた・・・・・。お前のいうことも最もだ。しかし、お前の痛みや苦しみを一番理解できるのはお前自身だけであり、現実には誰も手を差し伸べてくれない。ウルトラマンもドラえもんもやって来なかった。こうしてお前はフィクションの力を信じるのをやめた。「ヒーローなんていない、この世界はすべて敵・・・・・」そしてそれは米津玄師も同様だった。米津玄師も幼少期のヒーローごっこで怪獣役をやらされてボコボコにされたり、もしくはドンキー役やザンギエフ役をやらされてボコボコにされた過去があったに違いない。おれは長年んお動向観察から確しんしている。

 dioramaの頃、米津玄師は作詞作曲だけでなく楽器パートもアートワークも全て自分ひとりでこなし抜き身のナイフのような作品を作り上げた。それは過去にボコボコにしてきたやつらを見返すためにひたすらヤイバを研いできた恐るべき銃だった。しかし持ち主に対しても牙をむくその得物は非常に危険であり、おれは興奮と同時に悲嘆にくれた。何故なら世界の全てを敵に回したようなギラついた輝きを放ちながら作品を作り上げ、けっか虚無の暗黒に消えていったアーティストをいくつも見てきたからだ。誰も触れることができなければ人は寄りつかず、そのせいで米津は余計に刃を尖らせ、またも人は敬遠し・・・・・END OF MEXICO・・・・・。dioramaの先に待っているのは血を吐きながら続けるマラソンのような末路だったはずだ。

 だが、米津はそうはならなかった。何故か? 米津はヒーローと同じくらい怪獣やドンキーを愛する方向を選んだからだ。「怪獣やドンキー役なんてやだよ! ぼくもヒーローをやりたいよ!」幼い米づはそう言った筈だ。だが米津は痛みや苦しみをR・E・A・Lなものと受け止めながら内なる幼少期の自分と辛抱強く対話を続け、自分を怪獣やドンキーとからかっていたいじめっ子たちまでも愛することを決めたのだ。その結果はどうだ? 米津をいじめていたろくでなしの連中も今やポップ・アーティストだとはやし立てている。復讐は何もうまない。やったからといって別に身長が伸びるわけでもないしモテるわけでもない。年収は上がらないし料理も絵も上達しない。そもそも犯罪だ。やるやつはどうかしている。だから米津は別の手段に出た。クラスの片隅で絵や小説をかいてるやつも金持ちのボンボンもリア充のスポ根野郎も程度はあれ、等しく孤独や痛みを感じることは必ずある。米津はそんなやつら全員に「孤独や痛みから逃げ切れると思ったら大間違いだ」ということを静かに語りかけることにしたのだ。バンデラスのように。

 痛みや苦しみはお前自身のものだ。誰にも譲り渡してはいけない。それはお前自身の魂を他人に売り払うことと同義だからだ。この現代においてR・E・A・Lな感情すらメイクマネーの手段としてSNSバズ野郎が巻き上げようとしている。表現の規制と自由のラップバトルが勃発し、わけしり顔のインフルエンサーが全ての意見を塗り潰し、Twitterは今日もげんきに学級会が開催され、空は堕ち大地は割れ、人類はみな酒に溺れベイブに逃避しインターネットは虚無の暗黒に呑まれた。未来はすっかりフューチャーがオーノーになり美しいほし地球はうしわれた。それでも米津は人間を見捨ず、辛抱強く見守り続けているのだ。そんなやつをおれたちは知っている。そう、ウルトラマンだ。ここにきて米津GENSHIとウルトラマンがかんぜんにいっちし宇ちゅうはウルトラスパークに包まれた。お前の世界は米津によって救われたのだ。

未来へ

 この曲はシン・ウルトラマンという映画と、ウルトラマンというヒーローそのものと、成田亨氏が描いた真実と正義と美の化身という作品という3つのウルトラマンにかかっている。しかも3分きっかりで彼方へと飛んでいく。米津玄師は平然とそういうことをする。そして米津が宝かに歌いあげる歌詞は、限りなく広大な宇宙を見渡せば決して可能性は決してゼロではないと信じられた人間の想像力と未来への憧憬を描いてきた空想科学の精神とも完全に合致する。ここまで説明すれば米津玄師が実はそうとうに人間が好きだということがわかっただろう。

 diorama以降、米津は志を共にするバンドメンバーやプロデューサー、クリエイターと出会い、音楽も合わせて変化していった。世界の全てを敵に回したようなギラついた輝きは失われてしまったが、代わりにそこには優しさがあった。傷ついた分だけつよくなれる、覚えてなくとも心には残っている。そんな当たり前のことを米津は語りづる蹴る。それがゆたかな人間性を育むことを信じているからだ。ひるがえっておまえたちはどうだ。あんこくのタルサドゥームによってこの世界は闇に閉ざされ、皆がわれを失ってわかりやすい救いや青海を求めている。そんなSNSバズ野郎にR・E・A・Lな感情を売り渡して本当に良いのか。「ヒーローなんていない、この世界はすべて敵・・・・・」それもいい。ひとつのお前の思想だ。米津が言いたいのはR・E・A・Lな感情に伴う苦しみや痛みもまたお前自身だけのものだということだ。

 ここまでくればお前はきづいたhqずだ。孤独や痛みと戦い続けてきたお前の記憶そのものが血肉となり、お前じしんの人生を形作っていたことに。もはやおまえはタルサドゥームにまどわされる哀れなどれいではない。胸を張って前を向け。そして歩き続けろ。M八七はそんなお前の毛だかい精神を祝福する、米津玄師の福音なのだ。


(終わりです)

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