人生における「幸せ」は“自らが選択した時間の総量”で決まる
よく、
「会社員からフリーランスになって、何が一番良かったですか?」
という質問をいただくことがあります。
これに対し僕は、
「すべての決裁権が自分にある生き方ができるようになったことですね」
と答えます。
そう。僕はフリーになって、何事も“自ら選び、決定できる”ことの価値を大いに感じています。
はっきり言って、この状態はストレスフリーでしかなく、会社員時代はよく「ため息が多い」「イライラしている」って言われていたのですが、今では「ほんとポジティブなオーラ出てますよね」的なことをよく言われるようになりました。
会社員時代に感じていた、どんなことを行うにもすべて稟議決裁が必要…という状態がほんとにツラかったなあ…
先にお伝えしておくと、この記事は「会社員最低!フリー最高!フォー!」みたいなことを言いたいんじゃなくて、もうちょっと本質的な話に触れています。ぜひ後半までお読みいただければ。
自らがその時間に納得し、選択しているかどうか
人がストレスを感じる要因の一つに「自らが選択していない時間(やらされている、ほんとはやりたくない)」が続くことにあると思います。
アンコントローラブルなことが続く限り、自分のビジョンや想いとかけ離れた現実を生きていくことになります。そこのギャップにストレスを感じていくんじゃないかなって。
だから、ストレスの少ない幸せを感じるために、自らが“選択する”ことはとても大切だし、“自ら選択した時間の総量”が多ければ多いほど、その人の人生は幸せになっていくんじゃないかなって思うんです。
究極的にいえば、自分の人生の責任は自分でしか取れないわけで。
会社の都合や、家族は大切にしなければならない的な「べき論」など、外的要因における判断をしたとしても、本当の根底の人生の責任は自分でしか取れないんですよね。
だから、自らが選択した時間をいかに過ごすか。ここに人生における幸せのポイントがあると思います。
会社員かフリーランスか、なんてくだらない。その生き方を自分で選んでいるかどうかだけ
と、ここまでの話で、僕がフリーで時間を自由に選択できるからストレスを感じない、的な文脈になっていますが、ちょっとそれは違ったりしてまして。
大事なのは、会社員かフリーランスかなんて話じゃなくて、自分が過ごす時間を自らが納得して選択しているかどうか、だと思うんです。
一人であれば、あらゆることの決裁権は自分にあるでしょうが、これが家族や会社になれば、複数人での共同体となるわけで、当然、イチ個人だけの決済では、その共同体は成り立ちません。
自分はそう思っていなくても、子どもがやりたいことを優先するかもしれないし、奥さんが行きたいところにいくかもしれない。
自分はこうやりたい!って思っていても、会社全体の利益を考えるとその判断では進められないかもしれない。
そうやって折り合いをつけなければならないこともあるかもしれませんが、重要なのは、「自分は折り合いをつけて“選択”をした」と認識することだと思っています。
「自らがこういう選択をする生き方を選んでいる」と認識するだけで、アンコントローラブルな選択ですら、コントローラブルになり、ストレスを感じにくくなる、というロジックですね。
前田裕二さんの書籍「人生の勝算」の中で、前田さんが尊敬するお兄さんの話が出てきます。
前田さんような起業家ではないけれども、何よりも家族を大切にするということを子どもの頃から「自ら決めて」その道を突き進んでいる、このことに強い尊敬の念を抱いている、という話です。
これを読んで、ほんとフリーが自由で幸せ、会社員は社畜、みたいな話題がくだらないなあと心底思えたのを覚えています。
要は、働き方とか手段なんてなんでもよくて、その道を“自らが選択しているかどうか”だけなんだと思います。
《前田さんのお兄さんについてまとめた記事がありました!》
幸せ論は色々とあるかもしれませんが、自ら決めた時間を過ごす。そしてその総量を増やす。これが一つの幸せの考え方なんじゃないかなって思いました。
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