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隣の芝は青い。でも青ければいいのか、自分で決めねばならぬ。

浅見 ゆたか

他人を羨(うらや)んでしまうのが人間。

そんな人間の性(さが)から生まれたであろう言葉が「隣の芝は青く見える」である。

とにかく、人は、他人の芝生を見るのが好きだし、自分との比較をするのがもっと好きなのだ。

でも、芝が「青い(実際は緑だけどね)」方がいいってのは、どちらかというと“誰か”や“世間一般”が決めたもので、あなたが決めたことじゃない。みんなが「青い芝がいい」って言ってるから、自分も青い方がいいって思ってしまう。

しかも現代はインターネットやSNSの普及で、隣の芝がたっくさん見えてしまうのだ。昔は、それこそ“隣”だけだったのに。せいぜい数件、十数件の芝しか見てなかったのに、今は何十万・何百万の芝を見ている。

こんなに不幸なことはない。

だって、自分の芝は1つなのに、比較対象の芝が青天井に多くなってるから。そりゃ、どんだけ自分が恵まれてようが、比較対象の芝が無限に出て来れば、そりゃ自分の芝より「青い」って思う確率は増えるわけだ。

だからこそ、現代の僕たちはこれを忘れちゃいけない。
「芝は“青い”のが本当に良いのか?君は何色がいいんだ?」
ということ。

カレーは茶色い方が美味しそうだし、レタスは青々しい緑の方が新鮮そう。
車は高級な方がいいし、肉はA5の方がいい。
家は大きい方がいいし、サウナもでかい方がいい。

いや、ちょっと待て。
本当にそうなのか。

誰かが決めた価値観に、自分の価値観を乗っ取られていないか。青いカレーも美味しいし、ちょっとしなしなしなったくらいのレタスでチャーハン作るのも美味しいし。
安くてコスパいい車最高だし、赤味肉は胃もたれしないし・
家はコンパクトでミニマルな生活最適だし、サウナも一人で入れれば文句なし。

結局、答えは自分の中にしかないし、他人の決めた価値観には幸せはない。

誰かが「良い」って決めたことより、自分が「いいな」って気づけたことを大切にして生きたいなと。そうしたら幸せへの距離感もそんなに遠くないんじゃないかと、そう思うわけです。(もちろん、他人の価値観から自分の幸せを発見できることもあるから、それはそれで良いと思う)

要は、「自分はこれが良いんだよね」って、腹きめられることかな、大事なのは。


追記==

公開してから思ったが、SNSで見える芝は、天然芝である確証はなく、むしろ人工芝が多いよね。つまりまがい物。

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