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「できる」と「やる」の間にある、絶望的な差

僕自身が、埼玉の横瀬に拠点をおいて活動していることから、こういった地方創生的なワードを聞く機会が非常に多いのですが、自らが実践者であることから、これらの言葉には常に違和感を持っています

「ワーケーション」=いや、できればワークしながらバケーションじゃなくて、普通にバケーションしたいし

「二拠点(他拠点)居住」=まじで、田舎ってゴミ捨てられる日が限られてゴミ捨てすら大変だし、てか2つの家の掃除をするってめちゃむずくない?

みたいな感じで、実践する側になると、これらの言葉がいかに形骸化したフレームの言葉であるかを実感できます


で、僕気付いたんです。「ワーケーション」「二拠点居住」…こういった言葉は、理論上“できる”という視点で作られた言葉なんですよね。

仕事はリモートワーク化し、田舎でもAmazonが届くから生活に不便はない、的なことをそれらしく語って、実践できるよね、みたいなことをいう人がいます。

これは“できる”の視点なのですが、“できる”の視点の人は特に「やる」ことはしていないんです。

「やる」人は、これらの言葉ではおさまらないいろーんなケースや出来事や状況に直面しています。なので、僕の経験上、ガチで二拠点をやってたり、ワーケーションみたいなことをやってる人は、全然そんなに華々しくないし、むしろ苦労話の方が多い。

田舎に家を持ってくみてくださいよ。ふっつーにムカデとか出て、それをどう対策するかとか、近所からうるさいって言われないように、細やかに気を使ったり。華々しい言葉の裏には、泥臭いことばかりあるんです。

で、そんな泥臭いことに目を向けず(知りもせず)、理論上“できる”視点で「これからの時代はワーケーションも積極的でにできる企業になっていかないとダメ」とかいってしまうんです。

やってみてください、ワーケーション。まじで仕事にならないっすから笑


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僕たちがやっているシェア別荘「ミノペン」も、実際に物件を購入してみんなでメンテナンスしていろんな人に来てもらって使ってもらって、その中で細かな試行錯誤と苦労を乗り越えてやってます。

第三者が見れば「関係人口創出」かもしれないし「ワーケーション」かもしれない。

でも、僕たち当人はそんなものは全然意識もせず気にもせず、ただひたすら、目の前の蚊をどう減らすか、サウナをどんな段取りで作るか、布団のシーツをどういう運用で清潔に保つか、など、泥臭いことしかやってません、まじで。

それらの積み重ねがアウトプットであり、人を惹きつけるいば居場所作りになると思ってます。


“できる”ことを語る人はゴマンといますが、「やる」人はほんの一握り。理論上“できる”こと語る人ではなく、常に実践者でありたいって思いました


昨日、ミノペン作りを一緒にやっているあつしに、羽釜でご飯を炊いてもらったのですが、こげこげすぎて、めっちゃ詰めたんですが、そういえば僕自身羽釜でご飯炊いたことないし、理論上“できる”視点であつしを詰めてたなーと、今反省しています。

羽釜でご飯炊いてから人を詰めるようにします。

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