過去の栄光は食えねえから捨てろ
僕が尊敬してやまないラッパー ILL BOSS-TINO氏のリリックです。僕はこの言葉が大好きで、ふとしたときに思い出して噛み締めます。
「昔こんなことをやったことがある…」
「すごいアワードを受賞したことがある…」
「元〇〇でして…」
こうした、その人の過去の実績に関する話を聞く機会は少なくないと思います。もちろん、初めてその人のことを知るにはこのような過去に何をやっていたか、という話はとても参考になるので“事実として一度だけ聞く”分にはとても重要な情報だと思っています。
しかしながら… 過去の情報というのは、現在から時間が離れるに伴ってどんどん鮮度を失っていくものです。
「昨日、〇〇賞を取った! 」という人と「10年前、〇〇賞を取った! 」という人では、どちらにその情報の価値があると思いますか? 「同じ賞」という意味では、もちろん価値は変わりませんが、情報の鮮度という意味では、圧倒的に差があると思います。
情報は鮮度が落ちれば落ちるほど、味もなく噛みごたえもなくなる。食べ物と全く同じです。古いものは腐るんです。それを理解せず、「自分は昔〜」と自分語りを何度も何度も繰り返してしまう人がいますよね。武勇伝語る的な。
僕はこの過去の話が本当に苦手で、自慢のために昔の話を引っ張り出したところで、それはもう昔の自分であって今の自分ではない。その自分が褒められたところで何も面白くないんですよね。
であれば、今の自分を知ってもらって、これからの未来を一緒に想像しながらワクワクする。そのほうがとても気持ちがいいんです。
過去は他人に語ってもらい、今はありのままを知ってもらい、未来は自分で語る
過去の栄光は自分語りだとどんどん鮮度が落ちますが、実は他人が語る分には多少新鮮さは変わります。要は、お店の口コミと同じで「うちの店はうまい! 」って自分語りするより、「あそこは美味しいらしいわよ」と他人に語ってもらった方が、信憑性が増すのと同じです。
他人の評判で過去の栄光が出てくる分には(それも繰り返しすぎると鮮度が落ちるけど)効果は高いと思っています。
なので僕は、「過去は他人に語ってもらい、今はありのままを知ってもらい、未来は自分で語る」というポリシーで生きています。
いつまでも過去のことにしがみつかず、今は粛々と目の前のことをやり、未来は大きくても小さくても自分が想い描いているものを言語化する。そうして、自分という存在を知ってもらって、一緒に歩を進める仲間を見つけていきたいなって思っています。
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