
死ぬリスクを常に持っているのが生きるということ
つい一昨日の話ですが、交通事故にあいまして…なんと相手方が赤信号をぶっちぎって交差点に侵入し、青信号を曲がっている最中の僕の車にガシッと接触してしもうたのです。
僕は「ヒョッ! 」って言葉が出たくらい、死ぬほどびっくりしました。(チャットでよくふざけてヒョッ! っていってるけど、本当にそういうことが出るんだって自分でも驚きました)
あ、当事者同士、体は無事です!
その事故の様子がこちら。左折をしている青い車が僕のマイカーです。
さっきの信号無視のもらい事故、後ろ走ってたはしけんさんのドライブレコーダーにバッチリ写ってた笑
— 浅見 裕 yutaka azami (@azamixx821) December 13, 2020
青い車が僕です。ああ、あぶねぇ。
年の瀬、みなさん気をつけてくださいね😢 pic.twitter.com/sKrMSN4rwx
たまたま後ろを走っていたはしけんさんの車のドライブレコーダーに写ってた! 後日談ですが、相手方の保険会社から連絡があった時、事故を起こした本人は青信号のつもりだった、と言い張っているらしく… マジかよ。ドラレコの映像があって本当によかったです! はしけんさん、ありがとうございました🙇♂️
いやあ、どうですか? 完全に赤信号突っ切って僕の車に突撃していますよね(笑)。マジで洒落にならない。
実はこの日はイベントの川とサウナ。仲の良いメンバーとサウナを楽しみ、僕の車にみんなで乗ってラーメンを食べ、都内の友達を西武秩父駅にお送りした直後に起こった出来事でした。
いやあ、マジでみんなをおろしてからでよかった…… というか、僕もゆっくり発信しててよかった。もしグッと踏み込んでもっと速く交差点に侵入してたら、真後ろからがツンでした… ああ、ゾッとする。
“たられば”はないけど、隣り合わせではある
不思議なもので、こういう事故に巻き込まれても「体は無事でよかった」「みんなが乗ってなくてよかった」「発信がゆっくりでよかった」と、不幸中の幸いがどんどん頭に浮かぶものですね。
それと同時に「もし〇〇だったら… 」という、不幸オブ不幸のケースも考えてしまう。
“たられば”を考えること自体、僕はあまり建設的ではないから好きではないのですが、この時ばかりは勝手に思いついてしまうものですね。現実的な“たられば”なので。(バチェロレッテの萌子さんも「“たられば”はありません! 」って言ってたな〜)
そう考えると、1分時間がずれていたら別の人が巻き込まれていたし、自分は平和に家に帰れていた。5秒早く発信してたら、僕の車は大破していた。分単位、秒単位で出会う出来事は変わるのが人生なのだなと思いました。
生きる以上常に抱えるリスクは死ぬこと
このわずかな時間のズレで出会うできことは不幸も幸せもあるわけで。人は結局、瞬間瞬間に左右される生き方をしているのだなあと改めて思いました。
その瞬間ごとに自分の人生が大きく左右されるのであれば、そしてどんな時も生きている以上死ぬリスクを抱えていることを実感すると、やはり刹那的に生きることが大切なのかもしれないと思った出来事でした。
年末に差し掛かり、街は忙しくなってきていますが、みなさん本当に事故や病気には気をつけて、ただし気をつけすぎて楽しさを抑制しないように、楽しく健やかに年を越しましょう。
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