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【開催報告】第9回あざみのカフェ「なぜか語られない、臨床の実際―教科書と実践のエッジ―」中編


2022年11月26日に開催した第9回あざみのカフェ「なぜか語られない、臨床の実際―教科書と実践のエッジ―」、開催報告の中編になります。
前編はこちら → https://note.com/azamino_analysis/n/ne0c510261ba2 

後編はこちら → https://note.com/azamino_analysis/n/n88ebd1f3f5ff

 さて、話題提供も終わり、いよいよ本番のグループディスカッションに入ります!まずは司会から、グループディスカッションで話し合うテーマを3つ提示しました。

①「自己紹介・感想」

②「皆さんにとってのエッジは、どんなことがありますか?例えば、クライエントにとっては役に立っていると思うけど、これって心理がやっていていいことなの?とか、心理がやるべきことなの?ということなどお話しください。」

③「教科書的には外れることをするときの判断基準や感覚はどのようなものですか?」

 参加者それぞれのエッジの体験を共有すること(②)が最優先事項で、その結果として、③がどんなものかが話し合えれば、と伝えました。

●  グループディスカッション

 グループディスカッションでは、zoomのブレイクアウトルーム機能を利用し、5~7名程度のグループに分かれました。エッジを共有しやすいよう、グループは医療、福祉、教育、私設・大学相談室・と4つの領域に分けています。時間は30分間です。

 始める前は「初めて会う人同士で、センシティブな、大変な話ができるんだろうか」「30分にしたけど、ずっと沈黙だったらどうしよう…」そんな心配を、スタッフ全員が感じていました。

ですが…実際に始めてみると、それはまったくの杞憂でした!!

むしろ

「時間が足りない!」

「やっとあったまってきたところで終わってしまった!」という声が続出。

 どんな議論がされたのでしょうか。ファシリテーターからのまとめと、司会からのリコメントの様子をお届けします。

■医療領域―繋がりが壊れているところで、いかに繋がりをつくるか―

・ファシリテーターから
 地域は様々ながら、皆さん、重いケースを担当しておられました。カウンセリング以前の、そもそも他には誰とも接触を持っていない人たちに付き合っている。
 地域性によっては、患者さんから住んでいる場所を聞かれたり、他のスタッフがどのあたりに住んでいるか伝えてしまっていたり…。そういう近い関係のなかで、カウンセリングっていう枠組みにならないなかで、どこまで言うかで困っている。
 また、自分が病気になったときにどこまで伝えるかといった自己開示の話題や、SNSを利用していてクライエントからお友達申請がきたり、そうしたプライベートとの線引きで難しさを感じることが多かったです。

・司会のリコメント

司会:私も医療で働いていますが、どれもよくある話ですし、全然珍しくないことですよね。
ファシリテーター:でも、誰にも言えていない。一人職場の方もいて"これってまずいんじゃないか?"と思いながらも、誰にも言えてない、という人も多かったです。
司会:そうですよね。あとは、"カウンセリング未満"のケースでは、まず繋がりを作るというのが問題になってくる。
ファシリテーター:思ったんですが…カウンセリング理論って、ある程度の繋がりが前提というか。ヤングケアラーとか、繋がりが壊れてしまっているところにどう介入していくか、にはあんまり通用しないんじゃないか?
司会:人と人のコミュニティの繋がりが求められているところですよね。

■福祉領域―エッジについて公で話されていないこと自体が問題ではないか―

・ファシリテーターから 
 ファシリテーター:福祉領域は、本当にバラエティ豊かな参加者同士でディスカッションすることができました。施設によっては構造化されたセラピーだけをやるというのではなく、セラピーをやりつつ、クライエントと生活も共にすることがあるようです。「怪我をしてないか?」など現実的な確認が必要だったり、買い物に同行したり,カフェで会ったりと、幅広いサポートを担うのが福祉領域の特徴だと思いました。
 私たちのグループは参加者間で経験年数の差もありました。若手の方からは、大学院で学んだことと現場のギャップに迷っている、という切実な話も聞けました。
 それから、福祉領域の場合は、エッジに近づくほど他職種とのかかわりが問題になりやすいという意見もありました。例えば児童福祉分野では、子どもがトラブルを起こしている時に見ているだけではなく「手を出さなくていいの?」と他職種に言われた、という話が出ました。他職種とのかかわりというのはひとつのテーマだと感じます。
 また、エッジについては初期教育、大学院で学べないのが問題だという話にもなりました。教育が現場に追いついてないのではないかという問題意識が共有できました。最後に、エッジについて公で話していないこと自体が問題なのでは?という話も出ました。教科書に載っていない実践だからこそみんなで話し合う必要があり、そういった話が公で話しづらい雰囲気になると、どんどん隠蔽されて大きな問題に繋がってしまうのではないか、という点についてディスカッションしました。

・司会からのリコメント

 司会:どれもその通りですよね。面白いのは他職種、違うものと触れ合うときの難しさが出てくるっていうところですね。そもそも、エッジというのは初期教育から外れたこと。その一方で、エッジに対してどうするかが教えられていないと現場で通用しない。後ろめたいことを話さないことの方が問題、というのもその通りですね。


■教育領域―"臨床家として"の前に"人として"必要な対応だった―

 教育領域は、スクールカウンセラー(SC)、スクールソーシャルワーカー(SSW)など、職種が様々でした。SCとSSWを兼務されている場合もあって。学級崩壊を起こしていたクラスの先生の手伝いをして、でも心理なのにそればっかりでいいんだろうか…といった悩みであったり、連携相手であるはずの教員への心理支援を求められたりと、職務の線引きが難しいな、というのが共通してありました。

 それから、印象的だったのは、卒業に際して、クライエントから連絡先を教えて欲しい、と言われたケースですね。連絡先を教えるかはかなり難しいところだと思います。迷った末に連絡先を教えたけれど、結局連絡は来なかったというケースや、最後に一度だけ「先生の連絡先がお守りになっていた」と連絡がきたケースもありました。ある参加者の方は、その判断のときに「"臨床家として"の前に"人として"必要だと思った」ので伝えた、と仰っておられたのが印象に残っています。

・司会からのリコメント

やっぱり、繋がりがないところで人として、専門家として何をしていくか? ということが問題になっていますね。「"臨床家として"の前に"人として"」というのもそうですよね、そこが逆転してしまうのは、本当に本末転倒だと思います。


■私設・大学相談室・産業―ピアグループでは、エッジという考えそのものが馴染みにくい―

 このグループでは、大学院から心理職としての教育を受けてきた人だけではなく、精神保健福祉士(PSW)など、心理以外の領域から公認心理師を取得して私設開業された方もいらっしゃったのが特徴だったと思います。そうすると、エッジの感覚を覚えるところがかなり違いがある、ということが話題になりました。また、ピアグループへのかかわりをしていらっしゃる方もいて。ピアの場合、エッジという考え自体が馴染みにくいところがある、と言っておられたのが印象的でした。
 クライエントに求められて物をあげる、ということもあれば、逆に、物をもらうことも挙げられていました。アウトリーチの支援では、断りにくさもあって、贈り物を受け取っていたものの、それが段々エスカレートして、額が上がってきて困ることもあったそうです。それ以外にも、物を置いていくこと、持って帰っていくなど、物を介してのコミュニケーションというか、そこが繋がりのチャンネルになっているんだけど、どこまで許容するのか、がエッジになっている場合があるなと思いました。

・司会からのリコメント

 物をあげるにしてももらうにしても、どこまでか、というのは悩みながら、失敗しながら付き合っていくしかないところがありますよね。
 あと、ピアグループの話のすごく重要だなと思いました。専門家として会う、ということもあるんだけど、それによってジェネラルな関係を切り離してしまうのではないか? という議論はずっとありますね。
サブ司会:専門家としては"物をあげない"というのも一理あるんだけど、それは専門家としての角度でしかない、というところも抑えておきたいですよね。

 さて、グループディスカッションの共有を終えたところで、全体ディスカッションに入っていきます。

 続きは後編へ!


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