グルの存在に気づくことが幸せの道
現代のヨーガといえば体を動かすアーサナから入ることが多いなかで、本来のヨーガはアシュラムという専門の施設で住み込みで学ぶスタイルの、いわば修行の道とされています。
ヨーガの修行者はグルに弟子入りし生活を共にします。グルとは導師、その道を求める者を導き、光を当てる存在です。サンスクリット語の意味として『グ』は闇、無知を表し、『ル』は闇を取り払うもの、つまり光の存在のことを言うそうです。
私はこの言葉を真理先生から教えていただき、導く存在とは光を当てるばかりではないということを知りました。そしてグルは必ずしも人ではないということも。
自分の中にある闇こそが自分の言動や心を支配している。気づかないふりをして蓋をしてきた闇を抱えた状態だといつも同じことでつまずいたり失敗してしまう。
グルは自ら気づけるように導く存在
真理先生の周りには大病を克服された方、家族関係や仕事で大きな転換期にある方が多く集まってきます。むしろ直感を働かせて真理先生に出会ったからこそ転換期が訪れた、と言った方が正しいかもしれません。
ヨーガやアーユルヴェーダというツールを通して学んでいくと自ずと自分の闇と向き合うことになり、気づいたら変わっていたという方が多いように思います。
面白いことにヴェーダ哲学の学びを通して今までヴェールに包まれていたスピリチュアルの世界が言語化され、自分が生きていることがどれだけ神秘的なことかを理解し始めています。
もちろん頭での理解には限界があり、全てを言語化することはできません。日々、サーダナという修練を続けることで自分の感覚が磨かれていると自然と流れに乗っているだけで自分の心地よい選択ができている、という経験を何度かしました。そこで初めて自分にも心の底に手放せない闇があった、それを手放せていた、いつのまにか変わっていたんだと気づく。
グルは私たちの『真実の無知』に光を当て、次にどう進めばよいかを自分でたどれるように導いてくれる存在です。
つまり、グルに出会えれば変われるわけではなく、変われるかどうかは自分次第、ということがとても大切なポイントだと思います。あらゆる執着に気づき、闇に向き合えた時に進む道が見えてくる。
さらに、人ではなく何か集中して行えること、たとえば歌うこと、絵を描くこと、走ること、料理すること、植物を育てることなどによって自分が自分らしくいられたり、整う感覚を持てたりすることがあると思います。それらはその人にとってグルのような存在なのだと思います。
自分の中にグルを見つける
アシュラムで修業しなくとも、さまざまな角度からの気づきをくださる真理先生は間違いなく私のグルだと信じています。
宗教じみた信念ではなく、頭の理解と実体験を伴う精神の学びのスタイルは唯一無二、現代版のアシュラムなのかもしれません。
いつも驚きや笑いにあふれ、時に涙ありと、楽しく学ばせていただいています。
自分の真我、つまりプルシャは変わらないはずなのに、まさに今持っている肉体やマインドは常に変化し続けているからこそ、その時々で自分に必要なグルも常に変化しています。
その変化に対応できる柔軟さ、自分を信じる強さを得るために、日々学び続ける、それがグルからの学びであり、今世を幸せに生きることそのものなのだと思います。
グルは自分の中にあると気づいた時、迷うことなく幸せの道を歩んでいるのだと気づけるのではないでしょうか。
by Mayumin
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