自分の役割に集中すれば、誰かの幸せにつながる
役割をまっとうするには、やらないことを決めること
いま自分に何が必要なのか。あるいは、自分の役割をまっとうするにはどうすればいいのか、と考えたとき、つい他者目線で不足している部分に目が向かうことはないでしょうか。そして、そこを補うべく、やることを増やすほうに意識が集中してしまうこともよくあることかもしれません。しかし、実はやることをシンプルにしていくことが大事だということを、改めて実感したできことがあります。
それは、最近出会った、ある素敵な和食屋さんでのこと。
女将さんは過剰な接客はせず、お品書きについて簡単に説明する程度で、あとはずっと料理に集中しています。とはいえ、張り詰めた空気感はなく、むしろとても居心地がいいのです。何しろ料理がどれも絶品!素材の味が引き立つシンプルで上品な味わい、風合いのある器もまた料理を美しく演出しています。
料理人としての基本的な役割に集中していて、無駄がないといった感じです。「美味しいものを、ゆっくり味わいたい」という、料理店へ行く本来の目的を叶える、これぞプロの仕事だと感動してしまいました。
講師としての基本は、生徒の力を信じること
基本に立ち返る、というのはアーユルヴェーダ・ヨーガ講師をしている私にとっても、日々考えさせられるテーマです。アーユルヴェーダもヨーガも、一人ひとりの内に眠る生きる力、自分と他と調和していく力、自分の本当の役割に気づく力を養い、引き出すための一つの方法です。
しかし、その恩恵を受け取るには、自らが変容し成長するという、ある種自立した目的意識が必要です。講師は、生徒さんに癒しや答えを与える存在ではないからです。
アーユルヴェーダやヨーガに取り組もうと考えている人たちのなかには、なかなか改善されない心身の不調に悩む人もいます。だからこそ、誰かに助けを求めたくなる気持ちはとてもよくわかりますが、癒しや治癒というのは、自らの意識が変わらない限り起こらないというのがヨーガの教えでもあるのです。
誰かの優しさやヒーリングによって、対症療法的に、一時的に状態が改善されることもありますが、根本的に自分が変わらなければ、日常に戻った後、しばらくすると、また同じような不調を繰り返すでしょう。そうして、また誰かに助けてもらう……という自分以外の人、モノ、コトへの依存があるうちは、やはりどこかに苦しみを抱え続けている状態といえます。
もちろん重症な病を抱えているときには医師の支えやサポートは必要ですが、ヨーガやアーユルヴェーダの基本を日常の中で継続していくと、徐々に自分にとって必要なことがわかってきます。
介入しすぎない距離感こそがグルの愛
本当の変容を遂げていく人というのは、ヨーガでもアーユルヴェーダでも、何かに取り組んでいる過程で、多少疑問が生まれてきても、自分なりに工夫しながら、まずは継続する強さがあります。やっている意味がわからなくなっても、疑念の声には負けません。
講師の本来的な役割は、誰よりも生徒を信じ、いかに一人ひとりの自主性を引き出すのか、だと考えています。だからこそ、適度な距離感も必要で、寄り添いすぎて、教えすぎないことが重要なポイントではないかと思うのです。
わたし自身、グルの元にいたときには、細かな指導を受けたことがありません。自分に与えられた課題に対する具体的な説明もなかったのですが、グルの言葉に耳を傾け、振る舞いに意識を向けていると、なんとなく与えられた課題の意味がわかってきたり、講義のなかで知りたかった答えを得られることが多々ありました。だからこそ、グルを信頼し、自分を信頼し、課題に取り組むことができたのかもしれません。そして、継続的な積み重ねの結果、内側から今までの自分では捉えられなかった「自分の思考のクセ」、「感覚の傾向」がわかり、「なるほど、そういうことだったのか!」という圧倒的な気づきとともに解放が起こったのです。
私のグルは多くは語りませんが、それが究極の愛だったことに、気付かされた瞬間でもありました。
講師として、いまその人に必要なことを教えたら、あとは本人の力を信じ、介入しすぎない。生徒さんたちが安全に自己鍛錬できる道筋は整えるけれど、期待は抱かず、見守る。この基本的な姿勢に徹するというのは、講師としての真の強さも問われる部分ではないかと、この頃、強く感じるようになりました。正しいことを理解させようとする行為もまたエゴだったのだ、と。気づいたら、手放し委ねる。その繰り返しです。
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