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‘‘死‘‘をすぐ近くに感じながらも描きたいものとは何か、‘‘生ききる‘‘とはなにかを【無言館】から考える。

自分がもし近い未来、【死】を明確に意識せざるを得なくなったとき、
私は最期に何を描くのだろう。

ましてやそれが自分自身の意思ではどうにも変えられない運命のもとだったとしたら、私は何を描こうとするのだろう。

そんなことをこの1か月程ぼんやりと、でも意識的に考えています。
そして、それを意識しだしてから【描く】ことに対しての
心の在り方は少し変わった気がします。 


【無言館という場所】
無言館という私設美術館をご存じでしょうか。

昨年12月、長野旅行に行く1日前にふと目を通した旅雑誌の中に
紹介されていたのを見て
どうしても行きたい!と、無理矢理スケジュールに組み込みました。

長野県上田市の小高い丘の上にポツンと位置する
戦没画学生慰霊美術館【無言館】は1997年5月2日に【信濃デッサン館】の
分館として開館。

館内には、太平洋戦争や日中戦争によって
画家やデザインの道など大きな夢や展望を絶たれた学生たちを含む多くの戦没者が描いた
絵や遺品、資料などが展示されています。

ご自身も戦争体験者である洋画家の野見山暁治さんと
無言館館主である窪島誠一郎さんが様々なことがありながら強い意志や使命感のもと集めてこられた作品たち。

姿かたちはなくとも、多くの人たちの"存在"が
この静寂な空間の中で今も生きています。


戦没画学生の遺した作品たち。
今も私の胸にしっかりと焼き付いています。

私には想像がつかないことばかりです。
夢や希望をもって美大を受験し合格。
またはこれから就職、実績を積む。
そんなとき。

さあこれから一生懸命やっていくぞ!いう時に
戦況悪化のため学生も戦争に召集されていく。

それぞれ状況は違うので
召集令状が出されてから出征までの
期間は様々なようですが、多くの人が
残りどれだけあるかわからない時間を精一杯使い絵を描いています。

そこに在るのは
大好きな風景、愛する妻、妹、祖母、家族、自分 など
が多いように感じました。

その時の心情など到底想像できない中でも、想像しようとしたとき
やはり当然無念な気持ちはあったと思います。
口にこそ出せなかったとしても。

だけど、最期に残すものは
自分が生きてきた魂の本質を残しておきたいと
本能がそうさせるのかなとも感じました。
それは、悲しさや無力さ、絶望感ではなく
希望が見えるものを選ぶのかなと。


同じ、ではないですが
私も大好きな人や風景や、想いを描いているときがものすごく幸せです。
ただ、描かせてくれてありがとう、と思います。
生まれて来て良かったと思うし、出会ってくれてありがとうと思えるんです。
対象を通して自分の人生に感謝できます。

自然と口角が上がって、描けば描くほどその対象は愛おしさを増します。
じぶんの心も温かくなります。
それは意識的にできなくて、無意識にそうなっている。

絵は内面が外側にでると思っていますが

死を強く意識したときに、せざるを得ないときにでも

描きたいものは
遺したいものは

自分のこころが心から温かくなるもの
喜びに満ちたもの
愛にあふれるもの

なのだろうか。
そうなんじゃないかなと思っています。

本質として、人は憎しみや悲しみや恐怖では生きられないのじゃないかなと。

もちろん展示されている作品すべてがそうだというわけではないと思う。
その心の内は本人以外にはわからないことです。

ただ、あの無言館という空間には
悲しみよりも、
精一杯描いた!生ききりたい。
どんなことがあっても、この内側にある自分の豊かな心だけは決して失わない。そんな前向きな想いを感じます。

限りある人生という宿命を背負っても
人としての希望を最後まで持ち続けようとする強さ

エネルギーの使い方がものすごく強くて
たくましいと思う。

私は、そんな方々が命を繋いでくださったお陰で
平和な世の中に生まれ、環境も整って好きなように描ける状況で
正直【死】を意識して制作をすることはなかったと思います。

だけど、必ず私は死ぬ。

そんなときがいつ来るのかはわかりませんが
最近、私は最期になにを描くんだろう・・・と考えるようになりました。
はっきりした答えはありませんが
それを意識しだしてから、制作は変わってきました。

また、それを頭の片隅に置きだしてから、いろんな流れも変化してきました。

作品の完成度(結果)ではなく、途中であってもその瞬間に妥協はしない。
そう決めています。

ぜひ、絵を描く人もそうでない人も一度は足を運んでみてください。
私もまた何度でも伺います。
絵を描くとは・・・、生きるとは・・・を、まさに無言で教えてくださる
ような空間です。

すぐには行けないけど、作品を観てみたいという方には画集もあります。

図書館にもあると思います。

もちろん実際に足を運ばれて感じられるのが一番かとは思います。

戦争という一般市民にとって
不条理なもののなかで
いくら支配されても

自分の心の中だけは
誰にも支配されない、されてはいけない。
どう生ききるのか。

現代を生きる私も遺してもらえたことを
忘れずに。




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