見出し画像

東野圭吾の新刊もいいが胸くそ悪い「殺人の門」がすごいぞ

「倉持修を殺そう」と思ったのはいつからだろう。
――『殺人の門』 角川文庫より引用

裏表紙の衝撃的な一文に惹かれ、私が「殺人の門」を買ったのはもう10年以上も前のことである。

私は高校時代に東野圭吾さんの小説にハマり、3年間でおよそ30冊程度の本を読破した。東野圭吾さんは執筆サイクルが早いため全小説を読むのは早々に諦めたのだが、手持ちの本はいずれも素晴らしくお気に入りの本は今もなお繰り返し読んでいる。

なかでも再読回数が多いのが、ほかでもないこの「殺人の門」なのである。

映画化することはないであろう「殺人の門」

東野圭吾さんの小説は数多あり「容疑者Xの献身」や「手紙」、「白夜行」など映像化されている作品も多い。2019年に映画化された「パラレルワールド・ラブストーリー」なんかは、単行本が出てから24年の歳月を経て映像化されている。

このように昔の作品が再評価されて映画化やドラマ化することも多いわけだが、「殺人の門」に関してはいまだ映像化されていないし、今後もないと断言できる。

それは「殺人の門」がとにかく陰湿で暗く、おまけに救いのない話だからだ。

「殺人の門」のあらすじ

なるべくネタバレしないように作品について紹介していこう。まず「殺人の門」のあらすじを角川文庫より引用する。

あいつを殺したい。でも、殺せないのはなぜだ。
どうしても殺したい男がいる。その男のせいで、私の人生はいつも狂わされてきた。あいつを殺したい。でも、私には殺すことができない。殺人者になるために、私にはいったい何が欠けているのだろうか……。
――『殺人の門』 角川文庫より引用

「殺人の門」の主人公は田島和幸という青年だ。この小説は田島の殺人に対する思いが、延々と一人称で語られている。

「読む価値ないな」とブラウザを閉じようとしたあなたは、ちょっと待って欲しい。重要なのは殺す相手と、その関係性にある。そう、冒頭の一文にあった人物“倉持修”が田島の殺したい相手なのだ。

田島と倉持の関係性はありふれたものである。倉持は小学校時代からの同級生でもあり、田島が唯一仲良くしていた人物。本来ならば「親友」というポジションに位置する相手だ。

それでも田島は小学生の時点で、倉持に殺意を覚え始める。

田島和幸と倉持修の奇妙な友情

田島の実家は地元では有名な歯医者だったが、祖母の死を機に家族は崩壊の道をたどる。先に「殺人の門」を「とにかく陰湿で暗く、おまけに救いのない話」と紹介したがまさにその通りで、小説では田島の転落人生を600ページにもわたってひたすら追っていく。

この小説には山もなければ谷もない。ひたすら不幸へとまっしぐらなので、言ってしまえば下り坂だ。

そしてこの不幸は決して偶発的なものではなく、倉持によって意図的に起こされたものだと田島は考えるようになる。

しかし証拠はなかなか掴めない。むしろ田島に対して倉持は好意的で「俺たちは親友だろ」なんて平気で言ってのけるのだ。

もちろん読んでいるこちらも倉持の真意がまったく読めない。本当の友情なのか否か、どん底にいる田島を毎度救っているのも倉持なのだ。

人の不幸は蜜の味?「殺人の門」を再読してしまう理由

私は正直「殺人の門」という小説が好きではない。毎度、読んだ後は嫌な気持ちになるし、ちょっと落ち込んでしまうくらいだ。いわゆる“胸くそ悪い”小説なわけである。

それでも繰り返し読んでしまうのは、私自身が他人の不幸話が好きなせいではないだろうか。認めたくはないものの「他人の不幸は蜜の味」というように、不運な人を見下して自分が優越感に浸るという感情は誰しも持ち合わせているものなのかもしれない。

記事を読んで田島の転落ぶりを確かめたい人は、ぜひ「殺人の門」を手に取ってもらいたい。

そして考えてほしい、不幸を回避する方法を。私はどうしても田島は自ら不幸な道を歩んでいるようにしか思えないのだ。むしろ「殺人の門」は読者の不幸を回避するための一風変わった指南書となるべきではないのか。

私も再読するたびに田島を救える道を模索している。無論、そんなことを考えなくても田島は当たり前のように地獄へと落ちていくわけだが。

田島和幸が殺人の門をくぐれるのか、くぐれないのか。その結末はあなた自身の目で確かめていただきたい。

執筆:otaki

編集:彩音

================================
ジャンルも切り口もなんでもアリ、10名以上のライターが平日(ほぼ)毎日更新しているマガジンはこちら。


いいなと思ったら応援しよう!

otaki
最後まで読んでいただきありがとうございます! サポートいただけたらとても喜びます! よろしくお願いします。