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わたしの価値観

現在、朝の4時半過ぎ。
寒い。涼しいんじゃなくて寒い。今日から10月。そりゃ寒いわけだ。
ん?違う違う、10月は昨日からだった。すっかり日付迷い。
日中はまだ暖かいけど、この時間は冬を連想させます。まだ早いかな?
でも寒がりのわたしにとっては、冬を感じるのですよ。

早朝の散歩って頭をよぎりましたが、もう少しあとでにしよう。
朝に走る人は、もう起きていたりするのかな。

いろんな方々のnoteを読んでいると、この人とは価値観が合うなぁとか、うーんちょっと合わないかな?っていう基準ができてくる。
もちろん人によって様々な価値観があって、それを体験するのも面白いのですが。
価値観が合う人はフォローさせて頂いて、後にじっくり読むのが楽しいのです。
もし身の回りにその方がいたら、仲良くなってるかもしれないって思うし、でもそれは現実に会ってみないと分からないのだけど、少なくとも話をしてみるだろうなぁと思います。
文脈って、人となりが出る気がする。

あと、わたしが好きなのは、他人が書いた文字を見ること。
文字にも人となりが出ますよね。
もし「わたし字が汚いんだよね」って言ってる人がいたとしても、丁寧に書いてるかどうかって見れば分かるもの。特に不特定多数の人が読むであろう文字については、本当にそう思います。

今はそうでもないけど、若い時は「本気の字」と「友達に見せる字」を別に分けて使っていました。
友達に見せる時は、可愛いやつ。本気の字は可愛さを取り除いた字。
女の子あるあるかもしれませんね。両刀使いです。
でもどっちにしたって、なるべく丁寧に書くようにはしてた。

字を丁寧に書く人って、説得力があると思うのです。
例えば、職場の上司が書く字でみんなが読む字。それが達筆だったら「おぉやるな!」って思うし、走り書きみたいな自分だけのメモみたいな字だったら「読んでも頭に入らないなぁ」ってなるのです。
それがわたしの中での一つの基準。
でもたまにいる、自分だけのメモみたいな走り書きがそもそも綺麗な人いますよね。わたしは頭が上がりません。アナタすごいよ。

それが基準なので、わたしが文字を書くときはどうしても肩に力が入ってしまって、上手く書けないよー、なんて時もあります。
だから走り書きが苦手。自分しか読まないメモだとしても。
買い物のメモですら、自分なりに丁寧に書こうとしてしまって、それはそれは疲れるわな。
そんなことやってるから、肩に力が入って、知らず知らずに奥歯を噛み締めてしまうのでしょう。
自分しか読まないんだから、読めればいいのよ。読めれば。

昔、筆跡鑑定家になりたいってぼんやり思うことがありました。字に関しての仕事、楽しいだろうなぁって。
でも楽しいを仕事にすると、一見素晴らしいようで、実は働くことが窮屈になってしまうのかもしれないなぁって思ったこともありました。
仕事にすると好きじゃなくなる、なんて話も聞きますもんね。本当のところ、どうなんだろ。

前にバイトをしていた時、進路に迷っている子がいて、ちょろっと相談されたのですが、わたしは進路に迷うってことをしたことがなかったので、「消去法で決めれば?」なんていう無茶なアドバイスをしたことがあります。
わたしにはコレはできないなぁとか、コレだったらできそうだなぁとか。
わたしはそれもアリなのでは?って思うし、実際、わたしはそうやって自分の将来のことを決めていた節があります。

話が少し脱線したけど、要するに、綺麗か汚いかじゃなくて、「ここぞという時」にきちんと丁寧に字を書く人が、わたしの好きの基準のひとつ。
丁寧って疲れるけど、届ける相手への愛の深さな気がするのです。


さぁーこれから散歩に行くかどうか、そろそろ決断する時がきたけど、行かないが80%強。
まずは朝ごはん。
腹を満たしてからじゃないと、何も始まらないのだ。