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5.手放してみた「いけないシリーズ」

 休んで半月後、仕事に復帰しました。

 シフト制なので、最初は短い時間で働けるように上司が気遣ってくれて(本当に優しい上司なんですよ!)半月で体力がだいぶ落ちたわたしはとても助かりました。
 周りの人たちも、わたしが休んだ理由を知らないとはいえ、無遅刻無欠勤を貫いていたわたしが、急にお休みしたので、心配していろいろと甘やかしてくれました。みんな、本当にありがとう。

 躁状態の入り口にはいましたが、ここでまた頑張りすぎると逆戻りになる、という冷静さもまだあったので、無理しないように慎重に動こうと決めてました。

 今まで持っていた、仕事というものに対してのラインを自ら低くして、いろんなことに手を出さないように、なるべく最低限を意識するように。他にできる人がいるんだから、その人たちに任せよう。わたしはとにかく動きすぎちゃダメだ、頭を働かせてはダメだ、自分に言い聞かせました。

 誰もが多少なりとも「しなきゃいけないシリーズ」というものを持っていると思います。
 例えばわたしでいうなら、「お仕事なんだからちゃんとやらなければいけない」「年上なんだからしっかりしなければいけない」「お金をもらっているんだから妥協してはいけない」。
 世の中の主婦の方たちなら、「母親なんだからしっかりしなければいけない」「毎日家事をやらなくてはいけない」「子育てに手を抜いてはいけない」といったところなのでしょうか。
 敬愛するエガちゃんなら「黒タイツを履かなければいけない」ですかね。

 スーパーマンなら「困っている人が居たら助けなければいけない」でしょう。でももしかしたら本当は、もう電話ボックスに入りたくないかもしれない(世代ですね。通じます?)。好きな酒片手に、バットマンの映画でも観たい日があるんじゃないか。今はスマホが普及して、電話ボックス自体あまり見かけないから、心の奥でホッとしているのでは。

 孫悟空なら「地球を救わなければいけない」。でももしかしたら本当は、ドラゴンボールを探すだけの旅がしたいのでは。そして7つ集めたら、クリリンのように「女の子のパンティが欲しい!」と叫びたいかもしれないですよね。

 わたしはその「いけないシリーズ」に、自分からがんじがらめに縛られて、必要以上に自分を削ったあげく、双極性障害になったのかもしれないとその頃思う節がありました(後にそうではないと気づきます)。
 だから繰り返さないように、色んなことに気づいても気づかないフリをしました。自分の気持ちにフタをして、自分を誤魔化していくのです。ここをこうすれば効率がいいな、この方がスピードがあがるな、そういう思考を一度全部捨てました。
 自分を縛っていた「いけないシリーズ」を一度全部手放す。それを当面の目標にしたのです。

 わたしは昔から、頭で考えるよりも「なんとなく」という理由で、選択や決断をする事が多かったように思います。仕事中だけでなく生き方そのものも。
 なんとなく感じる直感、感覚、違和感、空気感、目に見えないそういうものを、なるべく敏感に感じ取るようにしていました。

 それは自分が持つ直感や感覚に、多少なりとも自信があったからです。失くしたくない自分らしさの一つだと思っていました。
 ちなみに、この感覚や直感を大事にするというのも、後から知ったのですが、双極性障害の特徴の一つらしいです。

「いけないシリーズ」を手放そうとした最初の数日間は、上手くいっていたような気がします。精神的にも体力的にも楽になったし、何よりも「しなきゃいけない!」と思わなくなったことで、自分が解放されて、のびのびと過ごせているようでした。
 だけどやっぱり、それも束の間でした。

 しなくてもいい、と自分に言い聞かせることは、それまで大切にしていた自分の感覚を失くすということと同じでした。自分らしさを捨てること。そしたらわたしには、一体何が残るんでしょうか?
 その時は、これからうまくやっていく為の方法だと信じていました。だけどまた、いつの間にかジワジワと追い詰められていき、毎日が少しずつ少しずつ窮屈になり、そして悲しくなり虚しくなってきます。

 そのうち、今まで大事にしてきた感覚ですら分からなくなってきて、自分には何も価値がない、人の役に立つ事ができないと自分自身を責めるようになります。ここに居る意味ないじゃん、わたしはどうせ無駄なんだし。

 周りにいる人たちに対して、嫉妬や妬みも生まれてきました。勝手に自分と比べて。そしてそれが攻撃性に変わりそうになった瞬間、ついに崖っぷちに立ったな、と思いました。
 このままじゃ大切な人たちを自ら失ってしまう、その危機感だけはなんとか保てていたから、日々から逃げ出したかったです。全てから目を逸らし、自分の気持ちからも、自分自身からも逃げたかった。

 そして数日後、崖からついに落ちます。
 
 もし、ドラえもんが四次元ポケットを失くしてしまったら、のび太くんの役に立てないと、わたしと同じように自分を責めて、後悔するのでしょうか。
 でもきっとのび太くんは、「そんなポケットなくても、ドラえもんはドラえもんだ!」というに違いないです。のび太いいやつだな・・・。

 もしこの気持ちを、周りの人に打ち明けられていたら、同じことを言ってくれたに違いなかったのに、わたしは信じられなかったんです。

 他人を信頼できない怖さ、これが次の戦いになります。