見出し画像

子どもの意思

小6、小2、4歳の3人の我が子を見ていると、自分で言うのもなんだが、とても素敵に育っているなぁ~かわいいなぁ~と心から思う。

私が子どもを育てる上で一番大事にしているのは、「その子の意思を大切にする」ということ。
子どもは未熟でまだ何も分かっていないから、いろいろと教えてあげるのが大人の役目、みたいに思われがちだが、全然そんなことはない。
子どもは産まれながらにして(いや、お腹に宿る前から)自分の意思を持っているし、その意思にしたがって自ら選ぶ力をもっている。
私がそれを強く実感したのは、2人目のお産の時。


家で産みたいと思いつつも、初めてのお産は何が起こるか分からない不安から、助産師さんに来てもらった。
それ故に、出張助産師さんを求めて福岡の夫の実家で産んだ。
とても素敵なお産だったけれど、1つだけ悔やんでいることがあった。
それは、産まれ出る洸平の意思を私が感じ取れなかったこと。

助産師さんや夫の実家のサポートの中で、私はいろんな人たちに意識が向いていて気をつかっていた。
それは、お産の最中もあった。
未知なる経験故の余裕のなさと、周りへの気づかいのために、私の焦る気持ちばかりをお腹の洸平に伝えていた気がする。

その経験から、次は、誰にも気をつかうことなく、お腹の子だけに集中したい!と思ったため、2人目からは助産師さんは呼ばず、屋久島の自宅で家族だけで産むことにした。

家族だけで産むことのリスクや不安は上げればきりがない。
でも、それは病院で産んでも、助産師さんと産んでもゼロにはならない。
とにかく私にできることは、リスクをなくすために自分の体を健康に保つことと、検診に行ってお腹の子の様子を把握すること。
それでも不安を感じるようなら、自分の願望に固執することなく、病院を選ぶこと。

それできれば後は、産まれようとする子どもの意思を大切にして、その子のタイミングと生きる力を信じて待つだけ。

そう思って臨んだ2人目のお産は、次男・晴の産まれ出ようとする意思を全身で感じるお産だった。

その時に確信した。
子どもは生れながらにして、しっかりとした意思を持っている。
大人が子どもにできることは、自ら歩んだ経験を教えることではなく、彼らの意思を大切にし、彼らの選択を応援することだけなんだな、と。

そうして自ら育ってきた子どもたちは、本当に素直でかわいくて、たくさんの可能性を胸に、今日も生きている。


You Tube   aperuy movie 「屋久島に、夏が来た!」



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?