色と巡る蜷川実花展
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色と巡る蜷川実花展

こんにちは。
7月29日、山梨県立美術館にて開催中の蜷川実花展へ足を運びました。

展示順に、みたものや考えたことをご紹介します。

写真はあえて記事の最後にまとめて掲載しています。(撮影可コーナーのみ)

記事を元に"想像美術館"してみてください。


受付を過ぎて真っ白な階段を上りながら、蜷川実花について知っていることをシェアし合った。私はモデルさんの写真を撮っているイメージがあるといった。彼女は草間彌生とコラボしているし、TGCの美術も担当していると教えてくれた。


a.ピンク

最初の部屋は、桜のピンク。皆さんは壁一面サイズの桜の花を見たことがあるだろうか。桜の写真の背景に、白い額に入れられた桜の写真。部屋の床は青い空を背景にした桜の木。桜は人生で何回も見たけど、桜の空間には初めて入った。どうぶつの森でつくる部屋みたいに、桜で埋もれてぶっ飛んでた。きっと日本中のどこの壁紙屋さんを見ても、こんな壁紙は買えない。でも不思議なことは、カラフルだから目が疲れるとか、奇抜と感じる隙が無くって、きれいだと思う空間に仕上げられてたこと。「人は桜に、単なる花の美しさだけでなく、咲き誇り、儚く散る様に「いのち」や「人生」も重ねてきた。…同時に日本の桜のほとんどがクローンであることに、文明の宿命を見てとるのである。(美術館資料より引用)」

クローンである事=みんな同じであること。

だからこそ蜷川氏は、多くの人が未体験であろう桜の「魅せ方」で、この現実に対抗したのであろうか。


b.青、赤、黄色、原色

壁一面に花、花、花。そのほとんどを、私も彼女も名も知らなかった。
その色は鮮やかで、水で薄まってもいない、白も混ざっていない、小学生の絵の具セットから飛び出してきたみたいだった。

自分の身長よりも大きな写真たちに囲まれて、私はまるで「不思議の国のアリス」の体が縮んだアリスの気分だった。

あのシーンでは確か、花はアリスに歌いかけていた。私には、何を語りかけるのだろうか。


c.その人の色

「ほら、この女優さんがこんなことになるなんてすごいね」「この俳優さんのこういう表情は見たことがない」

彼女は隣で何回もこんなことをつぶやいていた。

きっと自分自身が商売道具というシチュエーションは、この先経験することはないと思う。そしてもしそうでなくとも、誰も、どの自分が「本当の自分」なのかはわからないと思う。

それでもつまり、この写真に収められている俳優さんや女優さんもしっかりと存在しているという事が、壁いっぱいに飾られた表情と色で伝わってきた。

世間からのイメージや求められ象がはっきりとしみついている彼らの新しい一面をどうやって引き出しているのか。そしてまた、どのようにその自分も「自分」だと認識させるのか。不思議である。

それともう一点。蜷川氏が撮る写真の中の着物や振袖が、私には戦闘服のように見えた。生きる力と言うか、生命がこもっているような気がした。


d.白、黒

蜷川氏のセルフィ―が並ぶ。

「あっ、今度は白黒だね」

「自宅で撮影したのかな」

「コロナだから、こういう写真が撮影しやすいっていうのもあるかもね」

「みて、あの写真。壁にカーテンと額に入った写真が写ってる。こんなにカッコいい写真だけど、急に親近感が湧くね」

「こうやって自分を記録したり見つめることって、なかなかないよなぁ」

彼女と私は、こんな会話をしながら白と黒の空間を見て回った。


e.人それぞれに見える色

写真と物語がセットの展示。

蜷川氏のお父様の死がテーマとなっている。

死について、皆さんはどう考えるだろうか。タブーか。悲しみにくれるものか。単純な人生の区切りか。

部屋に入ると、右回りに写真を見るか、左回りに写真を見て回るか、どちらからという指示がない。少し考えて、左回りに決めた。

桜の写真と喪服姿で横断歩道を渡る二人の男性の写真が目に留まる。右回りで見ても、左回りで見ても同じような構図の写真は2度ずつ登場する。横断歩道を渡り始めるところと渡り終わるところ、満開の桜と散り際の桜、という対になっていた。

「この桜はきれいだけど、こっちは寂しい感じがするね」

「横断歩道、あっちの写真は渡り終わってる」

彼女の発言だ。なるほどと思った。確かにそういわれると、同じような桜の写真でも散り際の桜は色が薄く見える気がする。

私は、展示室の片隅にひっそりとあった、幼子と手をつないだ大人の陰の写真を今でも思い返すことができる。陰に自分を見て、向日葵が咲くころの夕暮れや、大きな手で自分の手を包まれるあの安心感が蘇ってきた。色でいえば、黄色やオレンジの感情。

この部屋は回り方や、誰が見るかによって価値が全く変わる部屋だ。


f.暗闇の中のキラキラ

パンフレットには桜を被写体にした写真だと記載してあったが、桜っぽさよりもシャッターで光を知らえたかのような作品が並んでいた。

彼女とどうやって撮影しているかを考えたが、素人にはわかりようもなかった。


g.また原色、赤、青、黄色、緑

花の鮮やかさとは一味違い、動物や人間の鮮やかさが目を引く。

金魚の写真があった。よく見ると、縁日の金魚すくいの金魚が入れられるポリ袋に入れられていた。

ウサギたちは、みんなゲージに入れられていた。

形の良い野菜や可愛らしいペットも、人間の都合でつくられた種かもしれなかった。

コロナウイルスが蔓延している今、人々はある意味、自由を奪われて、恐怖におびえて、ゲージに入れられている。そういう状態かも知れない。

私は写真を見て、社会のヒエラルキーとそこに対する皮肉を感じた。

様々なものによって「生かされている」のかもしれないということを考えるきっかけになった。

他の来場者たちは何を感じたのか、大変興味深い。



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おわりにー洗う前のパレットー

皆さんも学校の図工や美術の時間に、一度くらいは絵具を使ったことがあるだろう。ほぼ絵が完成したころのパレットは色でいっぱいで、筆を洗うバケツも濁っている。

私の気分は今、そういう色だ。

情報が渋滞する今の世の中。少しでもセンシティブな内容が含まれればバッシングの対象になるし、厳重に気を付けたつもりでも、誰かを傷つけてしまう事だってある。だからこそ、言葉にすることはハードルが高い。

でも、写真ならどうだろうか。

見る人によって、感じ方や考えることは何通りもある。自由だし、むしろ統一することは不可能である。

私が今回特に感心したことは、写真の美しさももちろんだが、

写真から、これほど考え、感じることができる。その可能性に

気が付くことができたという点である。


皆さんも、蜷川ワールドへ思考の旅に出てみてはいかがだろうか。


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〇蜷川実花展 ‐虚構と現実の間に‐ 

 2021年7月10日㈯~8月29日㈰、山梨県立美術館にて開催

※8月22日まで臨時休業中です。ご利用の際は、美術館HP等で最新情報の確認をお願いします。

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ありがとうございます☀️
大学生をしています ミレニアムベビー。 ノージャンルで、その時の気分でいろいろ書きます✍