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私が欲しい暮らし

私の子育てが始まって、まもなく13年が経とうとしています。

一番びっくりしたことは、あまりにも孤独な闘いだったこと。当時は産後鬱とか、育児鬱とかあまり話題になっておらず(少なくとも私は言葉を聞いたことがなかった)このシンドイのは一体なんなんだろう?みんな涼しい顔してやってるのに自分だけできてない、とずっと思っていました。

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その後、「ずっと元気で自宅で暮らしている」ことに誇りを持っていた祖父母がちょっとした変化で、自宅で暮らせなくなって施設に移ったことから、ちょっとしたことでガラっと生活が変わってしまう介護の世界を想像したりして、なんだか、もっと人と一緒に助け合って暮らせないものか、、と思っていました。

ムリだとわかっていても、理想はこんな感じで・・・

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「子連れ南の島暮らしー南太平洋のゆるーり子育て体験記」(もんでん奈津代/人文書院)に描かれているツバルでの子育てみたいに、みんなでウチの子もヨソの子もごっちゃまぜに暮らしていけたらいいのに・・・。と思っている。

でも、きっとごちゃ混ぜ過ぎて距離が近くてしんどくて、今みたいに個でいる自由も勝ち取った歴史があるはずだから、今の程よい感じは、こんなのだろうか。

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みんなの共有スペース(食べるところ、畑、庭、遊ぶところなど)もあるけど、その近くに個でいられる侵されないスペースが確保されている。

私は今、子どもを3人育てながら、東京で暮らしている。どんなまちとも同じように、良い面悪い面併せ持つまち。今年、友人が始めた「千石たまご荘」というコミュニティスペースの運営を引き継いだ。この場所を通して実現したいことは、都会だけど現代だけど、ちょっと古臭くて泥臭い暮らしを再生すること。自分の暮らしがもっともっと楽になると良いなと思っている。

世の中でも「居場所が大事だ!」という声は多くて、実際さまざまな形の居場所があると思う。私が仲間とやってきた不器用な居場所作りについて、不器用ながらも記録を残しておこうと思って、noteを始めます。

[孤育て]をやってみて、これじゃあ破綻する!と思ったこと、
地域の方から勧められて子育てサークル活動を始めたこと、
小さい頃の姉妹で育った思い出、
子ども時代転勤であちこちのまちを見てきたこと、
海外でのシェアハウス体験・・・

記録を書こうとすると、話はたまご荘のことだけでなく、あっちこっちに飛んでしまいそうですが、お付き合いいただけましたら嬉しいです。

倉持  歩


読んでくださりありがとうございます。サポートいただけましたら千石たまご荘の運営資金にさせていただきます!