捨ててきたあれもこれも、全力で取り返している話
今流行ってますよね、持たざる生活。
不動産や自動車が所有が当たり前。クリスマスプレゼントでもらうのは、ブランドバッグやアクセサリー。しっかり稼いでバンバン使う......などなど、とにかく「いいものをたくさん持っていよう」みたいなトレンドは、もう結構前に終わったと思う。日本が貧困まっしぐらという時代背景も大いに作用しているだろう。
でも最近なんか私は、どんどん「持ち物」が増えていっている気がする。ちょいと振り返ってみたい。
お金。実家はとにかく節約に命をかけていた家庭で、日々母が作った料理が並び、買い食い禁止、外食は月1のサイゼリヤで、家族4人で2000円台に収めていた。
今になって、家のローンをとにかく早く返すことと、高校以降の学費を必死で貯めてくれていたんだろうなと察するも、当時は「貧乏くさくて嫌だな」と思っていた。
嫌すぎて、高校からは何かしらのバイトで働き続け、いつのまにか「労働大好き人間」になった。
キャリア。大学まで進学させてもらい、ちゃっかり大企業に就職。「女性でものし上がれることを証明したい」「支店長になりたい」とかほざいていた。でも口だけじゃなくてちゃんと泥臭い営業もしてたから許してほしい。
そんなわけでしこたま働いていたので、20代はお金をそこそこ持っていた。そうしたら「もう使ってしまおう!ストレス発散!」と、どんどん浪費家に。ちなみに職業は銀行員。先輩はカードローン地獄に陥っていたっけ。。
それからしばらく「自己投資」という浪費が続いて、30台で貯金ゼロに。それでも「シェアハウスなら借りられるからいっか」とか思っていた。
それと同時に高キャリアにしがみつく自分の「中身のなさ」に嫌気が差して、キャリアを捨てて転職しまくった。そんな自分がかっこいいと勘違いして。
家族。結婚しなきゃーと思いながら20代は仕事が楽しかった。30代も仕事したかった。でもふとした出会いと人生のタイミングから、結婚して出産した。違う。出産と同時に結婚した。
出産を機にいろいろなスイッチが切り替わり、失われていた「エンジン」が再搭載されたのはたしか。
お金なんていらないと思っていたけれど、お金がないと生活できなかった。家もシェアハウスじゃ当然子どもと住めない。賃貸を借りるわけだが、家族が成長するにつれて住み替え、家賃もうなぎのぼり。まじ東京の地価高い。つらい。
キャリアを捨てまくったし、この年齢なので、もうまともな就職は厳しい。独立思考ではあったから、ライターとして身を立てることにした。ありがたいことにうまくいった。
一度稼げるようになったら、地に落としていた「自信」とか「円滑なコミュニケーション」とかを拾えるように。お金もついてきた。これならなんとか生きていける。旦那と子どもを養っていける。
今はとにかくキャリアがほしい。捨ててきてしまったキャリアは、思ったより取り戻しにくい。またライター・編集の次にいくには、これまでにはないキャリアも必要だ。箔みたいなもの。昔は大嫌いだった「体裁」を、今は整えることに必死だ。
そして最近の「エンジン」は、お金。
最近は118Lの一人用冷蔵庫を、200L以上入る中型冷蔵庫に買い替え、安いレンジは国産メーカーのスチームオーブンレンジに代わった。
3000円のヘアドライヤーは1万円のナノイオンドライヤーに。年末にはとうとうテレビを買い替える(32型だけど)。
家族が増えて守るものができたら「もうお金なんていらない」「寝られればどこでもいい」「やりがいのある仕事がしたい」なんて言えなくなった。バージョンアップしたいものはたくさんある。ものもコトも。
だからといって窮屈に生きているわけではなく、たまに胃を痛めながらも仕事を楽しんでいるのだから、「持ちまくる生活」も結構いいじゃないか、と思った。
流行り廃りはしっかり追いかけたいし、持ち物が溢れることで環境破壊につながるのは避けたい。先進国が「拡張」から「充実」に移りつつあるのも理解している。
でもその中で、稼ぐことや所有することを選択肢から外したくないなと思った。だってお金好きだし、使うのも楽しい。おいしいものも食べたい!
だから今日も夜まで働く。キャリアを模索する。長く生き、働けるよう健康でいる。前向きに。