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サラ・ベルナールの世界展

サラ・ベルナールの世界展
松濤美術館




サラ・ベルナールはフランスのベルエポックの時代(パリの文化がいちばん華やかで反映した時代のことです。19世紀末~第一次世界大戦が起きる1914年まで。)を象徴する大女優さん。


わたしが彼女のことを知ったのは、もちろん、ミュシャがブレイクするきっかけとなった舞台「ジスモンダ」のポスター。


まだ無名だったミュシャは、クリスマスホリデーで休暇中の友達の代わりに印刷会社に出勤していた時に、「急ぎで舞台のポスターを描けるひとはいないか」と突然かかってきたサラ・ベルナールの電話の一言から人生が変わります。

ミュシャの描いたポスターがあまりにも素晴らしくとても気に入ったサラベルナールは、ミュシャと専属契約を結び、以後様々な舞台のポスターを手掛け、ミュシャは画家として唯一無二の存在になったのです。


この逸話、ほんとはちょっと話盛ってて事実と少し異なるのですが、とはいえこの話を思い返すたびに、日々地味な努力を一生懸命積み重ねているひとにはチャンスがおとずれるようになってるんだよなぁとミュシャの立場になって感動していたのですが、逆にサラ・ベルナールの強運、引き寄せる力みたいなもののとてつもなさ、生まれながらにしての圧倒的なカリスマ性みたいなのを今回の展示で感じることができました。


どういう方なのか全然存じあげなかったのですが、知性と品格や美しさ、黄金の声と呼ばれた声質など、素晴らしい魅力がたくさんあるのですが、なにより自己プロデュース力の高さにしびれました。

「どういう風に見られたいか」の基準が、人にいいように思われたいとかそういう視点ではなくて「自分がどうありたいか」を明確に持たれてて、それがかっこいいのなんの。


舞台のポスター、衣装、セット、脚本などにも彼女の美意識がつまった細かなこだわりがあるのはもちろん、ミュシャやルネ・ラリックなどの素晴らしいクリエイターを見つけ出し活動を支援したり、30代から絵や彫刻を本格的に学びだしサロン展にも入賞するような腕前だったり、大恋愛を繰り返したり(本展では15人の男性が紹介されています。)、小説や戯曲も書いたり、劇場を経営したり、結核に侵されて足を切断してもなお死ぬまで女優としての活動を続けたり、
他のだれにも真似できない、自分がどう生きていきたいかを真っ直ぐに見つめ続けた生き様にぐっときました。


そしてなにより今回いちばんこころに刺さったのが
彼女の座右の銘、「Quand Même(それでもなお)」という言葉。


決して順風満帆ではなく困難つづきの人生だった彼女が、いつでもどんなときでもこの言葉を胸に、歯をくいしばって乗り越えてきた姿が目に浮かぶようで、着飾った美しさで取り繕うような人生ではなく、一歩一歩強い意思を持って歩んできた人生だったんだろうなぁと。いい言葉だなぁ「それでもなお」。


今回の展示でサラベルナールのことが大好きになりました。ちょっと浜崎あゆみっぽいからかな。


というわけで、今年の美術館おさめは「サラ・ベルナールの世界展」でした😊



来年はオリンピックイヤーなので、日本の素晴らしい芸術作品を展示する展覧会がたくさんあるのでとってもたのしみ◎


来年はアートに関わるお仕事もできるようになにかにチャレンジしていきたいとおもいます…!


それでは来年もよろしくおねがいします😊♡


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