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子どもたちを信頼して委ねてみたら、“案外『問題』ではなかったのかも”と、気がついた

ついに始まってしまった、子どもたちの長い長い夏休み😩

毎日のお昼ご飯の準備、生活リズムや宿題の管理など、ワンオペ育児をさらに苦しめるハードワーク…

ただ、そんなことより私が一番憂鬱なのは、
『両親からの声掛けが増えること』

これまでは、私からそれぞれに根回しをして、必要以上に関わることがないように、神経をすり減らしてきた。

今年は、子どもたちの考えを聞いたり、対応を委ねてみたら、
“そんなに思い詰めるほどのことじゃなかったんだな”
と、心が軽くなった😇


ありがたいお世話も、私にとっては“苦痛”の塊だった

「子どもたちは、お留守番大丈夫?」
「どこか遊びに連れて行こうか?」

良好な親子関係なら、ワンオペ生活の中、親からのこんな声掛けは、きっと涙が出るほどありがたいのだろうと思う。

けれど、昔から“こうあるべき”が強かった両親は、私の離婚後も、サポートと称して我が家を訪れるたびに私を責め続けた。

洗濯物がソファに積まれたまま、
台所が片付いてない、
テーブルの上が散らかっている、

まだ小さかった子どもたちとの、慣れないワンオペ生活。
理想的な家事なんてこなせるはずもなく、心も身体も疲れ切っていた私に、

「みっともない!」
「こんなんじゃ、子どもたちに悪影響」
「いつ来ても汚い家だな」

たくさんの罵倒が飛んできた。


さらに悲しかったのは、

「もっとお手伝いをしてお母さんを助けてあげなきゃ!」

と、子どもたちまで責めること。

ついには、だんだんと両親の訪問を歓迎しなくなった子どもたちの態度を見て、

「お前がいつもそういう教育をしているから、ろくに挨拶も感謝もできなくなるんだ」

延々、お叱りを受けた。


このときをキッカケに、

昔から続いていた確執の中でも、かろうじて私なりに保っていた心は、完全に折れた。


成長とともに、『子どもに委ねる』という選択へ


両親との間に、頑丈な壁を築き上げてしまった私も、子どもたちとの関わりの中で、両親との関係とも向き合わざるを得なくなった。


少しずつ、少しずつ、

ネガティブな感情を手放していくうちに、両親の言動も穏やかなものに変わっていった。

以前に比べたら、関わり方は格段に楽になったものの、

私がいない間に、両親が子どもたちと触れ合う可能性のある大型連休だけは、まだまだやっぱり怖くて仕方がない。


いつも、両親と子どもたちそれぞれに、いろんな気を回して、少しでも関わる機会がなくなるようにと必死だった。

さらに最近では、高齢になった両親だけで子どもたちを預けるのは不安という悩みも出てきた。


けれど、子どもたちも随分と成長してくれた今、いつまでも私の一存で関わりを制限するわけにはいかない。


思い切って、子どもたちにこれからの対応を相談することにした。


今までの、私と両親のやり取りをずっと見てきた子どもたち。

てっきり、両親からの過剰な声掛けに困っていたり、私に気を遣っている部分があるのかと思っていたら、

長男
「じいじとばあばの体調が心配って言えばいいんじゃない?」 

次男
「友達と遊びたいし、お出かけとかはあんまり行けないと思う」

と、一言ずつ話したあと、あっさり日常会話に戻っていった。


先日、両親と会う機会があったときも、早速、

「夏休み、どこか行きたいところはないか?」
と聞かれた次男。

横やりを入れずに見守っていると、

「うーん、特にないかな」
と、軽やかにかわしていた。


両親の言動に、いつもビクビクしていた私と違い、

子どもたちなりに、いつの間にか上手な対応を身につけていたらしい。


“苦痛”にフォーカスするから“苦痛”が拡大する


子どもたちの軽やかな対応を見ていたら、

『あぁ、私が自分で問題を大きくしているだけなのかもな』

と思えてきた。


子どもたちにとっては、両親の過剰な愛情も、私の心配も、当たり前にそこにあったもので、

私が過去の“苦痛”にフォーカスしていたから、

『両親との関わり=嫌なこと』

としか見えなくなって、そのほかの温かい愛情表現が目に入らなかったのかもしれない。


“自分で思っていることが、現実をつくる”

そのことに、すっかり頼もしく育った子どもたちが気づかせてくれた。


私はもう、『自分の望む世界をつくる』と決めたはず。


まだまだ“苦痛”の跡は消えないけれど、
私が心地良くいられる世界にフォーカスし、どんどん拡大していきたい💫


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