[ネタバレあり]物語の終焉、エヴァンゲリオンの終焉

長く長く続いた、エヴァンゲリオンの物語が、ついに終わった。完結した。

劇場で、エヴァンゲリオンが精算されていくのを見ながら、驚くほどきれいに完結していくのを見ながら、ああ本当に終わるんだ、感動と寂しさの混ざりあった限界オタクになってしまった。

シンジにまつわる関係性の精算

シン・エヴァンゲリオンでは、旧劇場版よりもずっと明確に関係性を精算し、物語を終えていく。
主要キャラクター全員と秒速5センチメートルするような勢いだ。(私にとって秒速5センチメートルは関係性の精算の物語なのだ)

ミサトから仕事を託され、責任とともに引き受ける。
アスカを助け、恋心とその終わりと、別れを告げる。
父との軋轢に向き合い、対決・対話する。

その過程で、シンジを中心に、キャラクター間の関係性は完結する。
ゲンドウは特に顕著で、心情を吐き出し、神秘性を失い、人間へと堕して退場していく。シンジが対話を選べば、それだけで、あっけなく。
あんなに秘密を抱えていたのに、あんなに圧倒的な大人だったのに、話してみればその正体はただの父親。
根暗なまま大人になったアナザーシンジとして去っていく。

そしてシンジは綾波を助ける……わけだが、このあたりから物語に雑音が入ってくる。

特撮スタジオ、おそらくエヴァ製作に使われたであろう撮影機材。
そして映像でも、動画・原画の使用。

雑音とは、メタ情報、すなわち現実である。

エヴァンゲリオンの終わりと、現実と虚構の止揚へ

前作であるシン・ゴジラでは『現実 vs 虚構』が掲げられた。

反して、シン・エヴァンゲリオンでは、現実と虚構が混ざり合う。
虚構のキャラクターであるシンジはエヴァンゲリオンの終焉を告げ、。
現実と虚構という対立するテーマを、ひとつのものにまとめあげていく。

現実と虚構の橋渡しのために必要となるのが、マリというイレギュラーである。

ルールブレイカーとしてのマリ

マリはエヴァンゲリオンパイロットでありながら、仕組まれた子どもたちとは異なる視座を持っている。また、その振る舞いも特殊である。

現実の楽曲を口ずさみ、世代をまたいで情報を持ち(これは梶くんか?)、突然冬月先生のもとへ現れるなど、ある種ルールを破るような動きを見せる。
画面が壊れ始めたあとも、マリの登場とともにアニメーションに復帰する。(マリが現実→虚構のきっかけになる)

そしてエヴァのない世界でマリは、シンジの手を取って駅の外へと歩みだす。(マリが虚構→現実のきっかけになる)

思うに、イスカリオテのマリアとは、虚構の物語への裏切り者であり、現実への導きを与える母なのである。

物語の終わり、エヴァンゲリオンの終わり

主人公とは、物語の中でもっとも変化するキャラクターであり、監督が描こうとするテーマを引き受ける(あるいは牽引する)キャラクターである。

シンジは旧エヴァで、「ありがとう」という応答をもって他者の中に存在する自分を発見した。
しかしシン・エヴァでは、他者と向き合い、自ら選び、ときには別れ、他者と関係する自分を確立した。

シンジが他者と向き合えない根本にあった、父ゲンドウとの対話が完了し、電車での別れが終わった時点で、シンジの物語は完結した。
そして各キャラクターとの関係性を精算し、エヴァンゲリオンの終焉を宣言した。

旧劇場版のメッセージを引き継ぎながら完結する、とてもきれいな最終回だった。
なんというか、本当にこんなにきちんと終わると思っていなかった。
多分誰もが、ある意味期待も含めて、エヴァはまだなにかするんじゃないかと不安に思っていたんじゃないだろうか。
だが終わった。
一人で悩むシンジはいないし、アスカは誰かに頼れるし、綾波は……綾波どうなった?カヲル君といい感じになってよかった。

もっとモヤモヤするだろうと思ってたんだけどなぁ!終わってしまったよ!
後半、シンジくんがエヴァの完結について述べ始めたあたりから、ひとつ時代が終わるんだな、本当に今後エヴァはないんだなと、感動と寂寥の混ざった感情でめちゃくちゃになっていました。

というわけで墓標も立てたので感情の整理がつきました。
パンフレット読んで、2回目いつ行くか考えよう。

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