高校生の皮が剥げたら
こんにちは!「帯広柏葉高校3年」の山本愛優美です。今私は起業してるんですけど、~~~をやろうと思って…
って高校名を名前の先につけた自己紹介を何百回してきただろうか。それで何度大人の耳を傾けさせただろうか。ビジネスの場において、高校名は、必要ないのに。
「え?高校生?!」って反応には飽きたなぁと思いながらそれでも自分の声を聴いてもらえるから、高校3年間この肩書を使い続けていた。
でも、あと半年で高校生が終わるなって思ったから、ここ10日間くらいは自分の高校卒業後の進路をずっと悩んでいた。
でも、考え続けて数日間、ちょっとずつ答えがみえてきたから、今回のノートではそれを共有したいと思います。
同じように「高校生」に迷っている人たちに、見てほしいなと思う。
「高校生」の肩書に包まれて
私の高校3年間の活動は、「高校生」が地域のために学生団体をやったり、「高校生」が起業したりとメディアに取り上げられて。強みは「高校生」であることで、それが価値であると思ったし、「高校生」が抱える課題こそが私が取り組むべきものだと考えていた。
そんな風に、これまで私はずっと「高校生」っていう皮に守られて生活していたから、その奥にある「私自身」を見つめることが怖くなっていた。
私がやりたいことは、私が高校生だからやりたいことなのだろうか?
それとも、私にもし高校生という肩書がなくなってもやりたいことなのだろうか?
…わからなかった。
私はこれまで「教育」をやりたいとずっと言ってやっていたけど、それは自分の高校生であるという「教育を受ける」環境に置かれているからこそ取り組みたいと思えただけであって、例えば今ニートになれば「教育」なんてやりたくなくなるんじゃないだろうか?
周りの起業している高校生の友人は、年齢なんて関係なしにやりたいことをやっているように見える。でも、私は自分の中高生マーケティングとコンサルティングっていう事業は「高校生」だからやりたいのではないだろうか。
じゃあ、私という存在は一体何をやりたいんだろうか?
これまではやることが多すぎて、見ないふりをできていた。でも、1つずつ物事を整理する段階で向き合わざるをえなくなってしまった。
だから、7月の終わりから10日程、ずっとグルグルぐるぐる頭の中で考えて、人に相談して、でも見えなくて。
今の私が「教育」をやりたい理由がいまいち言葉にできなくて、だから自分が行きたいって言ってた大学に行く意味とかわかんないし、だから、結局今勉強してもこのままじゃ何も身に入らないんじゃないか、私は空っぽになってしまうんじゃないかという焦燥感しかなかった。
ふと出た言葉
2018.08.05
そんな風に悩み続けていたある日の夜、同じ教育系の事業をやっている「高校生起業家」の友人と会って話した。
彼も彼で、高校生を対象に教育系の事業を展開しているから、同じ悩みを持っているんじゃないかと思ったのだ。
しかし彼は自分が高校生であることなんて関係ないようだった。自分が作りたい未来を描いて、その手段に「高校生」への教育を使っているのだった。
焦った。私は、高校生である自分が有限であることがわかっていたのにも関わらず、「高校生である私たちがこうなりたい」といった未来を目指していたからだ。
本気で自分が空っぽなんじゃないかと思った。
私は、彼に相談した。この悩みと自分が数か月やって来た活動である、高校生が学校の垣根を超えて作る学校祭型イベントの「超学校祭」のことも踏まえて。
これまで自分がやってきた活動は、たくさん反省点はあるけど、それでもやって良かったと思える。でも、この先自分が何をすればいいのかがわからない。
正直に打ち明けた時、こんな風に聞かれたんだ。
「あゆみはさ、そもそも高校生のためとか抜きにしたとき、何で超学校祭をやろうと思ったの?」
「――ときめき。」
ふとした言葉だった。何も考えていないのに言葉が出た。
「ときめき、ときめきでしょ?あゆみはそれによって生きているんだよ、それでいいじゃん。」
―ときめき、それでいいじゃん。
そうか、私ってそんな感覚的で単純だったんだ。でもそうだ、ときめきだ。私はこれまで色んなものやことや人にときめいて、それで行動して生きてきた。
悩んでいた何かが、まだきちんと言語化できていないけど、すっきりと落ちたような気がした。
高校生は嘘じゃないけど全部じゃない。
2018.08.07
高校生起業家、の彼と会った2日後、今度は違う人からのアドバイスで自分の心が出てきたような感覚になった。
A.doc Campというやりたいことを見つける2泊3日のキャンプに誘ってくれた、これまた同じく教育系の事業に取り組む大学生の竹澤圭祐さんだ。
別件でカフェで会ったのだが、同じ悩みを相談した。
私は尋ねた、竹澤さんは高校生のために教育系の事業をやっているのか、と。
「俺は、高校生のためだけじゃないよ。“過去の自分”のような人に、過去の自分と同じく苦しい思いをしてほしくないからやっている。だから高校生に限っているわけじゃない。」
答えは、聞くと当たり前のように感じられて、それでも目から鱗だった。
私も、確かにそうだ。「高校生」って言葉に、無意識に自分が縛られすぎていたんだと、その時に気が付いた。
自分が見えた
2018.08.08~09
「ときめき」と「過去の自分」2つの言葉が重なって導き出される自分の問いは何だろう。
カフェで竹澤さんとあった翌日に、一心不乱にノートに書いていた。
そして、夢中に書いて、書いて、書いていた。
8日の夜から9日の午前中まで。ホテルで寝落ちしていた時間を除いて、考えをまとめるまで10時間ほどかかったのだろうか。
見えた。私のやりたいことは、「高校生」だけじゃなかった。
「トキメキであふれる世界を作りたい」ということだ。
↑殴り書きこんな感じ
また、別のノートでこの説明を詳しく書こうと思うけど、簡単に言ってみると
私はこれまで「ときめき」によって行動してきた。
でも、高校に進学してときめきで動くだけじゃ周りは理解してくれないし、パートナーを見つけられないしですごく苦しい思いをしてきた。
だから、同じように何かにときめいて行動しようとする人(ここに高校生も含まれる)が、過去の自分のように苦しいと思わないような未来を作りたい。
こんな感じだった。何だか、言葉にしてみるとすごく納得するし、自分が深くアップデートされた気分だ。
もう高校生という肩書に頼らなくても私は生きていける、そんな気がする。
そう思った私を、高校生という肩書の狭間に揺れてるであろう数日前の私のような人に共有したくて、9日の午後、今大体18時。このノートを書き終えようとしている。
勢いだから、誤字脱字あるかもごめん。許して。
大学に行くかどうかは、今夜、作りたい未来をどうやって作っていくかの作戦会議をまた一人でノートでやるから、たぶんその時に決まるかもしれない。
そんな感じの高校3年生の夏休みの数日間でした。いい夏だ。
相談に乗ってくれた皆さん、本当にありがとう。
おしまい