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わたしのはなし①自分のお店を持ちたいと思ったワケ

こんな時だから、自分が"なぜ"今の仕事をしてるのかを考えよう、将来息子に「わたし、こんな半生を歩んできたんだよ」と、話せるように忘れないように書いてみようーと思います。

振り返り日記って感じで。
でも、もしどこかの誰かが同じような人がいて、うんうんって思ってくれたり、やってみよう!って思ってくれたら楽しいし嬉しい。

ザックリと今の状態を。
夫と立ち上げたアクセサリーや雑貨を取り扱うお店と、イベントをする会社をしています。
2013年にオープンして2017年に株式会社に。

大阪に常設店舗が2店舗と
長期イベント型店舗が1店舗。
広島に常設店舗が1店舗。
オンラインショップと、その他諸々。

現在、正社員は6人、アルバイトは8人。

そして、タイトルにあるように、わたしがなぜお店を持ちたいと思ったのか、から始めてみます。
れっつごー

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高校生のころ。
なりたい将来の自分は、沢山いました。
赤ちゃんと子供が好きなので保育士。
悩みを聞いて、一緒に考えるのが好きなのでスクールカウンセラー。
古着屋が好きなので、古着屋さんで働く。
そしていつか、自分の店が欲しい。
沢山の人が集まって楽しい場所が好きなので、ウェディングプランナー。
人と接するのが好きでダンスが好きなので、ダンスのインストラクター。。。。

社交的で、おしゃれが好きで、プライドが高くて、人と同じは嫌で、悩みを聞くのが好きで、目標だけはいつもあって、勉強は嫌いで、自分には甘く、褒められるととっても調子に乗る。
そんな高校生でした。

少しハードモードだった家庭で、専門学校や大学に行くお金がない。と姉が高校を卒業するときに知った時、わたしの中でかなり将来が狭まりました。

親には、本当になりたいなら1年後でも2年後でもお金貯めて自分で行きなさい。と言われ、
わたしは、確かにそうかと思って、それが出来ない夢なら本当になりたいものではないのか、と思い、高卒でできる中での、一番好きな仕事をしました。

それが、ファッションに関する仕事、アパレル販売員でした。

大阪のとっても普通の高校で、
一番可愛いと思う生徒!とかの投票で、一位になって、可愛い!おしゃれ!すき!と、もてはやされたわたしは、しっかり調子に乗って、人と接するのも大好きで、おしゃれするのが好きだったこともあり、その道に進むことにしました。

今から15年ほど前、わたしが好きだったファッションは古着で、今よりも何十倍も古着屋さんがある時代でした。
今よりもっとディープなお店が多くて、
50センチくらいしかない道幅に、ぎゅうぎゅうに並ぶ古着屋、古着独特のニオイとお香の香り、タバコやコーヒーのニオイにクラクラする薄暗い古いビル。
個性豊かな古着屋がひしめき合っていて、そのお店に立っている一人一人がおしゃれで、一つ一つが刺激的で、わたしはそこのお店の人になりたかった。

しかし、"正社員"を押し付けてくる親と学校のおかげで、まんまと全然違うタイプのアパレル会社の正社員になったのですが、、、
まぁ、楽しくない。

同じ"服"なのに、"アクセサリー"なのに、"人"なのに、毎日苦痛。

結局1ヶ月で辞めてしまい、大人たちをガッカリさせてる隙に好きだった古着屋さんで働くことに。
当時18歳だったわたしは、19歳〜となっていた募集に、「18歳だけどこの店が好きで、古着が好きで、、、働きたいです!」とドキドキしながら電話をし、
電話口の担当の方が、笑っていて「ありがとう、大丈夫ですよ、面接をしましょう」と言ってくれてとっても喜んだのを覚えています。
と、いうより思い出しました。
忘れていたわけではないけど、改めて思い出せた。
この時を思い出すと、心が熱くなります。

その仕事は、とっても楽しくて毎日があっという間で、自分にとって好きなことで働くこと、好きな街で働いていることが自慢でした。

それでも、時代は流れ、古着黄金時代が幕を下ろし、沢山の小さな古着屋は軒並み潰れ、わたしの働いていたお店もなくなってしまいました。
系列店があり、そちらへ来ませんかと誘ってもらったものの、系統の全く違うアパレルで、そこで働く気はなくお断りしました。

しばらく色んなアルバイトをしながら、ダンスもしていたので、ダンススタジオで働くことにしました。
この時、20歳になっていました。

そこで、縁があり、やりたかったことの一つであった、ダンスインストラクターもさせてもらえることになりました。
ダンススタジオでアルバイトしながら、
週2回、小さな子供のインストラクターをしていました。
保育士にもなりたいと思っていたので、幼稚園くらいの子たちとの時間は愛しくて楽しくてとっても有意義な仕事でした。

でも、一つ決定的にわたしがこの仕事には向いていないと思ったことがありました。

自分で気付いているくせに、認めるのに時間がかかるほど悔しかったのですが、
わたしは、1からなにか考えたり、自由にしたりするのが好きで得意でした。
0から、なんでもあなたの自由にどうぞ が、
とっても苦手なのだと痛感させられたのです。

"自分ではない誰かに踊ってもらうためのオリジナルの振り付け"を生み出すのがものすごく苦手でした。
出来るのですが、とてつもなく困難。
そんなこともあり、契約期間が終了したところで延長は申し出ませんでした。

でも今思えば、ただの勉強不足でした。
もっと沢山自分の中に引き出しがあれば、楽しく仕上げれたのになぁと思い、それと同時に、それをもっと勉強したり情報を得たりするほど好きなことではなかったんだなぁと納得がいき、
やっぱりファッションに関する仕事をしようと思ったのでした。

あ、因みにこのときのダンススタジオでのアルバイト仲間が、今の夫です。
わたしが、ダンススタジオを辞めた後から付き合った気がします。
わたしは、出会った当初、アルバイトの先輩でもあった彼が少し苦手でした。笑
それでも、この人がわたしの人生の最大のキーマンです。それは、また。

そして、22歳の時。
いいな、と思う服屋さんで働くことになり、そこで、わたしは「自分の店が欲しい」と強く思うようになります。
長くなったので、その話は次に。。。。

もし誰かが読んでくれていたら、
長々とお付き合いありがとうございました。