烏と猫

家族の中で1番わたしがだいすきだった、ばあちゃんは18歳の頃、じいちゃんは20歳の頃、それぞれ亡くなった。

服を褒めてくれるのも、毎朝行ってらっしゃいを欠かさず言ってくれるのも、毎晩のご飯も、わたしに優しい気持ちをくれるのも、大方ばあちゃんとじいちゃん。両親がネグレクトなわけでは全然無い。人間らしい、ふたりとも真っ直ぐ実直に生きてる。ただ、わたしと母親が同じレベルで頑固な為に、ほぼ毎日喧嘩していた。やさぐれながら親への文句を言うわたしを諫めてくれたのも、働き出して1年目、毎日帰りは日付変わる前後の夜が深まった頃なのに、いつもおかえりと迎えてくれたばあちゃん。
公園お散歩したり、バイクの後ろに乗せてくれたり、沢山一緒にプール行ったり、美味しいラーメン沢山作ってくれたり、寝る前には必ずスペイン語で『また明日、お嬢さん』と言ってくるのはじいちゃん。

今なんでこれを書いてるのかというと、窓の外から烏っぽい鳴き声が聞こえたから。別に命日でもない。
じいちゃんが死んだ日、病院から移動する時、烏がじーっと、ずっとこっちを静かに見つめていた。「この辺りには全然出ないんですけどね、珍しいですね」と先生は言った。それからというもの、ことあるごとに、こんなタイミングで?というときに烏が空を飛ぶ。あ、あれはじいちゃんなのだ、と思うようになった。そして離れて暮らす妹、父もなぜかわたしと同じタイミングで同じことを考えていたらしい。地元の厄除の団扇に描かれているのは、烏なので、密かに守ってくれようとしているのだろうか。

ばあちゃんが死んで、しばらくは、地に足がつかなかった。自殺も頭に浮かぶまでになった。世界が褪せて見えるようになった。体に力が入らない。そんな状態のまま、職場復帰初日を迎えた。午後出だったので、いつもよりゆっくり家を出た。雪が降りそうな、空が高くて白くて冷たい日だった。音楽を聴いても、ラジオを聴いても、心がびくともしない。
どんな顔して働いてたっけ?と悶々としながら駅までの道を歩いていると、白猫がじっとこちらを見つめている。正直犬猫は苦手で、いつもなら反対側の道へ渡るのだけど、近づいても逃げないので、ゆっくり、ゆっくり近づき、側に屈んでみた。それでもじっと動かない白猫。背中を撫でてみると、こちらを見つめてぐるぐると鳴いた。あったかい、かわいい。久しぶりに癒され、電車に間に合うぎりぎりの時間まで白猫と戯れた。そろそろいくね、と声を掛けると、今でも記憶は曖昧だが、高いところからわたしの名前を呼ぶ声が聞こえた。
この猫は、ばあちゃんなのだ、と直感で感じた。
それから春になるまでの数ヶ月の間、泣きそうな日には、その白猫が現れた。帰り道の真夜中だったり、早朝だったり時間はまちまちだった。春になり、新たな環境にみるみる飲み込まれ、忙しくなって、落ち込む暇すら無くなったと自分で気づいた頃、猫に会わなくなった事にようやく気がついた。じいちゃんほど頻度は高くないけど、たまに会えてる、気がしている。

ねえ、何も恩返しできなかった初孫で本当にごめんね。誇りに思えないような、平々凡々な、ちみっこい子でごめんね。声が、声の記憶が最近薄れてきてしまった。わたしはずっとふたりが好きだよ。これからも胸はって『じじばばっ子です』と言い続ける。
聞き上手であり、明るい温もりを保つ。ふたりがわたしに望んでいたであろう姿、理想にもってる。

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歩けよ乙女。日々の備忘録、等
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