左様なら

左様なら


学校だけが私たちの世界だった時間。

声の大きな人が強くって
一緒にいる人を選び間違えたらはずれ。
少し振る舞いを間違えてもはずれ。
私たちの世界は、なんだか運ゲーみたいだ。

誰も助けてはくれないのに 
他人の人生ばかりに干渉されて振り回されて
好きにさせてくれよ、と思うことすら許されないような。

自由な広い広い外の世界を 私たちはまだ知ることはできなかったの。

あの子と私
今の私にとってはくだらないことばかりだったのだけれど
そんなくだらないことが くだらなくなかった時間。


教室が、世界のすべてだった。


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変わりたくても変われない環境、レッテル、カースト。
誰もが経験したことのあるような、美しくも救いようのない青春。

直接ないじめはなくたって
教室に居場所がない と感じている人を救うのは、外の世界だった。

馴染めない 息が詰まる 友達がいない
それはただ‘学校の中でだけ’の話であって
音楽、写真、旅行、趣味で居心地のいい場所を見つけてしまえれば
教室なんてほんの小さな世界だったことに気づくことができる。


学校でも社会でもその仕組みはきっと同じなのだけれど
それに気づくことができないのは
中学高校では外との関わりができにくいから、だったのだと
友達の少ない私が気づいたのはやっぱり大学生になってから。

もっと早く気づいていたらずっと楽に高校生活を送れたのだろうけど、
何かに全力で打ち込んで全力で悩んだあの青春は もう戻ってきません。


世界との境界を越えた今、私は。
あの頃よりずっと 不幸で 幸せです。





ありがとうございます。貴方になにか届いたのなら、それで幸せです。