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まだ私には泣く資格が

私は今、30歳を目前に控えまったくの異業種からライターを目指して日々スクールの勉強に励んでいる。

この年齢になってこんなにのめり込める世界があることに喜びを感じたし、敷かれたレールから外れて絶望していた日々から比べると、まるで灰色の世界に一気に色が戻ったような、新鮮な感覚だった。

なんか変な表現だけど、「ああ、生きてるんだ」って何度も思った。

同時に日々、いつなんどき戻ってしまうかもわからない自分の体調をコントロールしながら、仕事と家事と勉強を両立させる難しさも感じていたし、どうしたってやりすぎてしまう性格のせいで、寝る時間を削っても早く結果を出さないと、と何かに取り憑かれていたようにも思う。

未経験で、まったく違う業種に飛び込もうとしているのだから、自分のほんのわずかな自信がことごとく打ち砕かれる瞬間や、周りの、とてつもなく才能溢れる人たちが眩しくてまぶしくて仕方がない瞬間、そんなものはすべて覚悟した「つもり」だった。

だからちょっとやそっと苦しい、つらいと思う場面が本当にきてしまったとしても、その想いをどこにも吐き出してはいけないのだと思った。

「覚悟が足りない」ことが悟られてしまうから。

このくらいの気持ちで、ライターになろうとしていたのか?
すぐに稼げるとでも、自分に才能があるとでも思っていたのか?

そんなことを誰かに指摘されてしまったら、きっとさらに立ち直れなくなる。

なんでも想いを吐き出せる場所のはずのnoteにも、なんとなく書けなかった。

どんな記事でもそうだが、最後まで読んでくれた方が気持ちよくそのページを閉じれるようにするためには、ある程度の「オチ」が必要だ。何かしらのしこりを残してはいけない。今までもなんとなく、最後は格好つけたような、綺麗事をいって終わらせようと努力していたと思う。

だけどこの行き場のないもやもやした感情にうまいことオチなんてつけられない。人間の感情なんて、大半がそんなぐちゃぐちゃしたものだ。

そして結果的にあるとき勝手に限界がきて、誰もいない家でひとり、泣いた。
しかも、うわーん、って文字通り声を出して、大げさに泣いてみたら、ボロボロ涙が出てきた。

なんだ、私辛かったんだ。泣きたかったんだ。それを認めてあげただけで、なんだか気持ちがふわっと軽くなった。

私には、「泣く資格がない」と思っていた。

「結果」が出せるまで、まだ辛いなんて言っちゃいけないって。

だけど、目に見える華やかな成果なんてそんな簡単に出るはずないわけで、長く闘わないといけないんだったらたまにはガス抜きも必要なのだと今回わかった。

自分の感情に思いっきり素直になる瞬間があってもいいのだと。

そもそも、「泣く資格」ってなんだ?

よくわからないけれど、自分が悲しかったら悲しんでいいのだし、辛ければ思いっきりつらいと叫んでいいのだろう。(もちろん人様に迷惑がかかりすぎない範囲で)

自分よりもっと過酷な環境で頑張っている人はたくさんいるし、自分よりもっともっとつらく困難な経験をしても弱音なんて一切吐かずに、前向きに日常を生きている人はたくさんいる。

でもだからと言って、その人たちに追いつくまで、その哀しみに達するまで泣き言を言ってはいけないなんて決まり事はどこにもない。

もし、今こういう状況のなかで、なんとなく気持ちが塞ぎ込んで、だけどもっとハードな状況にいる人に想いを馳せて、自分の感情に蓋をしてしまっている方がいるとしたら。


泣いていいと思います。

その哀しみは、あなただけのものだから。


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