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料理へのネガティブ意識を変える方法/有賀薫さん×阿古真理さんのトークイベントへ

4/22(日)に下北沢の本屋さんB&Bで行われた、有賀薫さん×阿古真理さんのトークライブに参加してきました。
こちらは2月に発売された有賀さんの料理本「帰り遅いけどこんなスープなら作れそう」(以下、帰遅スープ)刊行記念イベントの一環です。

プライベートでも親交が深いという生活史研究家・阿古真理さんと、本書の編集を手掛けた野本有莉さんのお三方から次々に飛び出す刊行秘話。そして、スープのレシピから昭和~平成料理本の変遷、これからの料理との向き合い方などなど、深い話に至るまで盛りだくさんの内容で、参加者のみなさんがうんうん!と首を一斉に縦に振っているのがとても印象的でした。(後ろの方に座っていたので良く見えたのです)

今回は、参加者のみなさんのうなずきがとくに激しく、私の心にも刺さったお話を中心にレポしてみようと思います。

そもそものお話ですが、私が有賀さんのお名前を知ったのはこの”帰遅スープ”がきっかけでした。

記事作成を担当させてもらっている料理本紹介コミュニティ『クックブックマルシェ』で、【SNSで注目を集める旬の話題本】としてご紹介させていただいたのがご縁です。

2016年6月から携わり、自分で選んで紹介してきた料理本は400冊以上。これまでに初心者向けの料理本は何冊もありましたが、そうした類とはちょっと異なるような本のタイトルにまず惹かれたんですよね。

具体的で断定的なタイトルが良いとされる最近の風潮なら「こういうスープなら誰でも作れる!」と言い切ってしまいそうなものなのに、あえて「作れそう」とした意味が個人的に気になっていました。

これについては、普段料理をあまりしない編集者の野本さんの実体験が込められたタイトルだったそう。「料理したい気持ちはあるけれどなかなか取りかかれない」という人たちの背中を押せるような本を作りたいと。

「疲れている時はにんじんの皮をむくのも面倒」という野本さんと、「これくらいなら誰でもできるだろう」と料理に慣れた有賀さん。本作りはまず、料理における”簡単”という感覚のズレを埋めるところから始まったとのこと。

そのために帰遅スープで紹介するレシピでは、スープに欠かせないじゃがいもやにんじん、玉ねぎといった手のかかる食材はあまり出てきません。「忙しくて食材をダメにしてしまうのが嫌だから料理をしない」という人がいることを考え、少ない材料・調味料で、一度買ったら余さずに使い切れるようにも工夫されています。こうした優しさがタイトルにも表れているのだなと感じました。

食材の在庫管理はテトリスに似ている

「料理を仕事に置き換えると大変さが分かる」という有賀さん。献立は企画立案、仕入れは買い物、冷蔵庫の在庫管理も必要と、会社なら細分化している仕事を家庭では料理する人がたったひとりで行っていると。「作り置きなどが全部なくなると、たまったテトリスが消えるようにご破算にできる」という絶妙な例えには、私も含め会場のみんなが激しくうなずいていました(笑)

自分の中にある姑(しゅうとめ)目線

”料理好き”というと、魚がおろせたり凝ったものを作れたりという、高いレベルの料理が作れることを私たちは想像してしまいます。簡単な料理を作って楽しいと感じたくらいでは「料理好き」だなんて名乗れない。ちょっとでも言おうものなら色々な人が良かれと思ってアドバイスをしてくる。とくに年上から年下へ言われると、何だか怒られているような気がする。

私も思い当たる節があるこうした目線を、料理は女の義務ですかなどの著書をもつ阿古さんは”姑(しゅうとめ)目線”と名付けていました。もしかしたら私も夫や娘、妹などに無意識にこういう態度を取り「料理って楽しい」と思える気持ちの芽を摘んでいたのかもしれないなと反省する思いでした。

料理と自己肯定感

イベントでは「料理ってちゃんとしなきゃいけないから大変だしツライ」と、恐怖を感じてしまう人たちの話も出ました。でもなぜそう感じてしまうのでしょうか。自分のためだし、毎日作る人は手抜きだっていいのに、誰と比べて罪悪感を持ってしまうのか。

これは今の世代の親御さんの影響がとても大きいのではないかと阿古さんは言っていました。共働きより専業主婦が圧倒的に多かった時代で、毎日きちんとだしを取り、彩りの良い献立を考え、時にはおやつまで手作りする。

これはまさに”丁寧な暮らし”ですよね。こういうことをしたいけれど、なかなかできない自分への怒りが罪悪感として表れているのではないかという意見に、大きく納得しました。

誰かにとっての丁寧な暮らしでも、自分にとっては”丁寧な暮らし”でなければ意味がありません。心身に負担を強いてまでする必要がどこにあるんでしょうか。

そして、料理へのネガティブ意識は「これまでの時間を何に使ってきたのか」が関わってくるのでしょう。私の場合は料理にある程度の時間をかけてきたことで「苦手じゃない」と言えるくらいの自己肯定感がつきました。ただ、同じ時間をかけて趣味や仕事で成功体験を得てきた人も多くいます。それがたまたま料理ではなく、違う対象だったというだけのこと。

だから簡単な料理でも、上手にできた、手早くできたという成功体験を少しずつ積み重ねていけば罪悪感は減っていくはずなんじゃないかなと思います。これにはきっと今の時代に合った帰遅スープが役立つはず。さらに言えば、手抜きも含めて料理を楽しむ私たちの姿を見ることで、罪悪感を持つ次世代もいなくなるのではないかと考えています。

私がこれからやりたいこと

有賀さん、阿古さん、そしてレシピ文化研究家の伊藤尚子さんが『新しいカテイカ』という試みを行うそうです。今の時代に合わせた暮らし方を考え、実践していくとのこと。とても面白そう!

私も何かお手伝いできることがあればぜひ参加させていただきたいなと思っています。

その前に、自分でやりたいこともあるんですよね。料理が苦ではない私でも、毎日続くとやっぱりツライ。もしそういう日が続くならイベント化して楽しくしてしまえばいい。教える、教わるといった姑目線を取っ払って、みんなでわいわい料理を作れたらいいな。時には子どもも交えて、親の楽しんでいる姿を見てもらえば一石二鳥かな。最近そんなことを考え「横浜料理部(仮)」なるものを企画しています。

たとえば作り置きをみんなで手分けしておしゃべりしながら作るとか。または余りがちなあの調味料、食材を使い切れるレシピを色々試してみるとか。レンタルキッチンを使うとなると結構高いので、まずはどこで始めるかがネックになりそう。先日見学した場所ではオーブンや電子レンジがなかったので場所探しですでに引っかかっていますが、いつか実現させてみたいと思っています。

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