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きみと歩く道

 二年前。はじめましてをした、きみと私。
 きみに出逢えるのを、ずっとお待ちしておりました。
 ずっと、だなんて、大袈裟かな? いや、でもね。ほんとほんと。会いたかった、きみに。きみたちに。

 はじめて会ったときのこと、おぼえてるよ。正直、私はもう疲れきってしまっていて、「ようやく会えたね」だなんて、そんなことを言った気がする。

 ほんと言うとね、ちょっぴり怖かった。そしてちょっぴり、きみのことを警戒していた。
 だってきみに出逢うまでの日々は、そう、私のなかでは幸せなもので。それがきみに壊されるんじゃないかって。負けるもんか、私は私だ、なんて。そんなことをこっそり考えていた。

 あぁ、誤解しないでね。きみは確かに、望まれてやって来たのだから。言ったでしょう? 会えるのを待っていたって。それは絶対に、ほんと。私は、きみに会いたかった。ただ、自分で思っていたよりも、意気地無しで弱かっただけ。

 だってね、出会ったばかりの頃のきみは、とっても弱々しくて。その命が、自分にかかっているだなんて、とてもとてもそんなこと、ちょっとばかり怖すぎた。肩にずしんと載ったものが、あまりに重すぎた。

 きみの泣き声を聞くのが怖かった。泣き止まないきみを、どうあつかったら良いのかなんて、さっぱり分からなかった。真っ暗な部屋で、一人と一人、それぞれ泣いたりもしてしまった。

 ふにゃりと頼りなく、小さく小さくやってきたきみ。可愛いとか、そんなことを思う暇もなく、ひたすらその命を守ることしか考えられなかった。

 だけどね。

 お乳を飲むのが上手になって。目がきょろりとこちらを見つけたりして。手足をふにふに動かして。声なんか、出したりもして。げっぷもだんだん、上手くできるようになって。

 一緒にお風呂、入れるようになって。首ががくんて、しなくなって。私たちに、笑ってくれたりなんかして。でもやっぱり泣いて。「泣き方で、泣いてる理由が分かる」だなんて、そんなこと私はついぞなかったけれど。それでも、ああじゃないこうじゃないとやってるうちに、また笑ってくれて。

 私、きみに出会ったとき、一つのことを自分に言い聞かせてた。

「私は、きみを神様から預かっただけ。だから守りはするけれど、それだけ」

 別に、ふだん信心深いわけでもなんでもないけれど。そんなことを思ってた。きみは私たちのところに来てくれたけれど、それはたまたまで、きみの人生はきみのもの。私の人生も私のもの。ちゃんと区別して、考えていかないとって。

 それが、だめだね。最近は、必要以上にきみのことを心配しそうになる。最後はきみを送り出すのだと思うと、それだけで涙が出そうになる。


 もし、将来きみが、高い高い目標をもったとき、私はそれを応援できるかな。「そんな夢みたいなこと」って、安全なルートを示そうとだなんて、けっしてしたくないのだけれど。
 心配だから、きみの将来を案じているからと、自分の考えを押しつけたくない。きみの志がどうしたら叶うのか、それを一緒に考えられる存在でいたい。

 でもね。きみと一緒にいればいるだけ、そんな気持ちを忘れそうになるよ。だって、悲しい涙なんて、できるだけ流してほしくないもの。それを想うだけで、胸がきりりと苦しくなるもの。

 だから私は、きみにこうして、手紙を書く口実で。その実、自分に言い聞かせてるの。おまえは所詮、自分が通ってきた道を識っているだけなんだから、知ったかぶりをして「ほら、こっちの道が正解だよ」だなんて、してはいけないぞ、って。

 ごめんね。偶然、きみの親となった私は、まったくもって完璧な存在になどなれなくて。きっと、いつかきみも気づくんだろうね。親も迷いながら、道を探して歩いてるだけだったんだって。今もなお、手探りでどの道が良いのか、考えながら歩いてるんだって。

 きみはよく、私に「だいすき」と言ってくれるね。その小さい手で、私の頭を撫でてくれるね。短い腕を伸ばして、抱き締めてくれるね。
 果たして、十年後、二十年後のきみも、私を「だいすき」と思ってくれるのかな。私はきみにいつか、嫌われるようなことをしてしまうのではないかと、ちょっとした不安はあるのです。そうならないためにも、きみのもう一人の親と、手をつなぎながらあぁでもないこうでもないと、歩いていく必要があるのだけれど。

 そんな遠い心配よりも、いまですね。きみはいま、幸せですか。きみの笑い顔がなにより好きなのに、器の小さい私は、たまにきみを泣かせてしまうのです。きみに、生まれてきてくれてありがとうと、なんべんだって言いたいのに、この幸運をまるで、当たり前のことのように扱ってしまいそうになるのです。
 そう、幸運なんです。きみと、きみのきょうだいに出逢えたこと。きみたちといられること。少しでも、なにかが少しでもずれていたら、なかったかもしれない幸運なんです。それってつまり、奇跡なんです。

 私はたぶん、ベストな親になんてなれない。でもできるだけ、よりベターでありたいと思っています。そんな志も、ぱたぱたと駆けていくような日々のなかで、どれだけ意識できたものか、わからないけれど。でも、努力はしたいのです。

 あの日。ほんの二年とちょっと前の、あの日。きみは私たちのところへ来てくれました。それまでの日々は、危惧していたとおり壊れてしまったのでした。呑気に自分のことばかり心配していた日々は、崩れ去ってしまったのです。

 そして、新しい道ができました。ちょっとでこぼこしているし、やたらとうねっているし、たまに水溜まりがあったりもするかもしれないけれど。
 きみと、きみたちと出逢って、歩き出した道は。それまで歩いていた道よりも更にずっと、愉快な道なのです。

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