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現場に行き、モノに詰まった思いを感じながら選ぶ

個性は人にだけ現れるものではない。人が作るものにも現れる。同じものを作りたくても出来ない。例えば野菜なら太陽の当たり具合が異なるし、部品なら研磨の減り具合で微妙に違う。こうしてものには個性ができる。だから私は個を見て選ぶ。そしてこの選ぶ時が幸せ。なぜなら並んでいるモノは全て人の思いが詰まった作品で、注がれてきた愛情が温かいから。

バスの中で雨上がりの虹を見ながら到着した市場に、農家さんが次々と野菜を持ってくる。「この朝の光景、好きだなぁ」。心がジワァと満たされる。
この当たり前の日常が、私には虹の中にあるような幸せにみえる。
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野菜はどれも美味しいが、見た目も味も1つ1つ違う。そして、棚に並べられた同じ野菜でも買うべきかは感じるものがある。

私が棚の1番下に置かれている人参を買おうとしていた時だった。ある農家さんが店長に怒っていた。
「週ごとに棚を変えて売れやすくしているのに、森◯さんが俺の棚の野菜をどかして自分のを並べてる」と。
私はその人参が間違えなく美味しいと分かった。太陽を沢山浴びておじさんの愛情を汲み取って、大根のように巨大に伸び伸びと育っているのだから。
おじさんを見ると、「あーこの人参を作った農家さん」と分かるほどに似ている。
「この人参は、お店のどこにあっても分かるよ、全然違うから。10袋もらっていくね。」
自慢の子供を褒められたというかのような満面の笑み、本当に大切に育てたのだなぁと、なんだか嬉しかった。
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個性があることは野菜に限ったことではない。家電や自動車もそうだ。

例えば自動車部品は、研磨や砥石の擦り減り具合から1つ1つ微妙に異なる。目で見ても違いは分からないから技術者の指先だけで判断する。基準は「自分ならこの部品の自動車に乗るかどうか」。それが1台あたり3万部品もある。
出来上がった自動車は、全部に個性が生じる。

あたりの良し悪しはこのような部品の違いの積み重ねから生じるのだ。
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だから私は選ぶ。
野菜や製品の後ろには、人の思いがあって、育つ野菜や出来上がる製品には個性がある。
過程を見て判断出来ないが、感じることはできる。それは、他人との初対面で何となく「合っている」「違う」と感じるのと同じ様なこと。
愛情いっぱいに美味しく育った野菜は分かるし、技術者の熱意ある製品は素通りできない、感じるものがある。
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朝の市場で感じる幸せは、愛情込めて育てた自慢の子供を並べる農家さんの喜びなのだろう。みんなが育てたかわいい子供たちが愛おしい。
私が手に取った「チョコ」という名前のミニトマトは、寒い冬にストレスをかけて甘くしたという。
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大事にされてきたものが並ぶ光景は、心も満たす。
買い物での私のこだわりは、店や市場に行き自分の目で見て選ぶこと。モノには人の思いが現れた個性があるし、そこでこそ注がれてきた愛情を感じられる幸せがあるから。

とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)