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親孝行している気分になる。


昨日だいすき(笑)な文子さんとお話していたら
いろいろ溢れるものがあったので、久しぶりに。

私がこれからの人生でやりたいと思っていること。


前に勤めといた保育園で、お楽しみ献立として提供したハンバーガー


なんだか最近、日常(主に保育園の仕事。って言っても現場の事に追われすぎてやりたいことが何もできていない)に追われて
自分がどこに向かいたいかをしっかり考える時間もなかった。


でもね、

文子さんとお話して
そのあと本屋さんで子どものご飯の本をパラパラ見ていたら
💡😳ってなった。

どこで とか どうやって は、とりあえず置いておいて
元気な大人に育つための、子どもころからの土台づくりに、(本当勝手ながら)私はを差し伸べたいと思ってる。
自分自身子どももいないし、欲しいのかもわからないし、そもそも産める体になれるのかもわからないけど、
「子どもの」っていうとこだけは、なーんか大学からずっとブレないんだよねぇ。
子どもの健康と、子どものための未来をちゃんと残せる大人になりたい。



味覚は3歳までに決まるって言われてる。
だから親、また子どものご飯をつくる仕事をしている人の責任は
とってもとっても大きいと思う。

離乳食の時に食べ物のすっぴんの味(本で読んでこの表現すき!って思った)を知ることで、
どんなに迷子になっても最後は原点に戻って来られる軸のある子になると思う。


「無農薬やオーガニックは高いから買えない」
って声を身近な人たちからちょこちょこ聞くけど
せめて生まれたばっかの赤ちゃんにはそれくらいの贅沢をさせてあげて欲しい。
これで一生ものの「味覚」が出来上がっていくんだから。

(気のせいでしょって思われるかもしれないけど、
私は「調味料(アミノ酸)」のは入ったもの食べると、後味悪いなぁとか、舌が痺れるなぁと感じることあります。パッとした感じはおいしいから、人といる時とか場合によっては食べるけどね。でも自然と、それらを意識的に避けるようになってた。)

子どもは大人より色んな感覚が研ぎ澄まされてるから、
ピーマンを食べないのも「苦い味は機嫌」という防御反応だと思う。
だから好き嫌い(とも言わないかな?)があって当たり前。
まっさらな感覚器官を持った子どもたちの事を、なるべく濁さないであげて欲しい。
この時期の過ごし方によって、大きくなってからの食の選択も大きく変わるはず。
子育てにお金がかかるのもわかるし、してない私が言うのもすごく説得力ないけど
「親として」じゃなくて「子どもだった私として」、本当に伝えていきたい。
私もたくさんたくさん迷子したけど、今戻って来れてるのはお母さんのお陰だと思う。本当に。

なんかこの自分の経験を社会に還元する(できる自分を目指して勉強して、実践してくこと)が、お母さんへの親孝行な気がするんだよね。
また会えた時には、こんなことして、あんなことして、これも頑張ったんだよ!って、いっぱい話して聞かせたい☺️


学生のとき、1番の楽しみだった母のお弁当


あと、離乳食の本を見ていて思った事。

子どものたの離乳食!とか
栄養バランスしっかりの子どものためのご飯!って意気込んで作ったり、
忙しいママさんが手軽に時短で♩みたいな離乳食の発信が多いから、
どんどん子どもの食事までもが自然とはかけ離れたものになっていってしまうんだと思う。

本来は自分達大人のご飯を作る途中で取り分けたり、さらに柔らかく煮たりしたものをあげるのが1番お母さんも、赤ちゃんも、幸せなんじゃないかなぁ••
同じ空間で、穏やかな空気で、なるべく同じもの食べるって言うのも、大事な食体験だよ。
(まぁ、子育てしたことないから理想論ばかりかもしれないけど)


まず自分を満たしてこその子育てだと思うから、
毎日自分や旦那さんのために滋養たっぷりのご飯を作って、その一部を赤ちゃんに。でいんじゃないかな?
たまにママがカップラーメンなら、その日はインスタントのベビーフードに頼ったっていいんだし。


いつだったか、母の真似して自分で作ったお弁当



さて、
これを私が上手く伝えられる器になれるのか?が大きな問題。がんばろーっと!


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