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なぜ日本人は集団主義なのか ー社会学編①ー


私が 生まれた小さな島国 には、奇妙な文化 がある。


それは、他人と違うことを嫌い、周りに合わせる ということ...



私は大学生になってから、旅が好きになった。
長い休みがあれば、一人で海外に行くことが多い。
お金を貯めて、オーストラリアへ留学したこともある。

日本から出て、いつもとは違う環境に身を置くと

「そういえば日本人てこういうとこあるよな〜」
と改めて気づくことが結構あると思う。

その中で 私が猛烈に気になっていたことが一つあった。

それは 

『日本人て めっちゃ集団主義だな』

ということ。


確かに、アメリカ人とかズバズバ喋るのに対し、日本人は空気を読む

そんなイメージはないだろうか?


一時期は日本で KY という言葉が流行ったくらい、

空気読んで、周りに合わせようよ 


っていう風潮がなんとなくあると思う。


なんと、世界から見ても、日本は集団主義だと言われている。
これはマイナスな意味で......


しかし!!!!実は

近年の高野陽太郎さんという東京大学名誉教授の研究によると

『日本人は集団主義 ではない』


ということが明らかになっている。


ではなぜ、この 間違ったイメージ  は世界中に広まってしまったのか?

 
ということについて高野さんの論文を参考に説明したいのだが、

これは日本人全体の話だけでなく、
身近な物事の見方がガラッと変わるきっかけになる話なので、ぜひ知ってほしい。


まず  集団主義  とは 

・個人よりも集団を優先する

・個性がなくてみんな似ている 


という意味があり、

その反対は、個人主義。アメリカが一番個人主義だ と言われている。


日本=集団主義 と言われるようになったのは、

色々な説はあるが、おそらく  第二次世界大戦の時のイメージ  が強い。

①天皇の下で「お国のために」と一丸になっていた。

②そして、個人主義だと主張するアメリカ  と対立していたこと。

それによって、逆の負のイメージがある集団主義 というレッテルを 敵国である日本 に貼っていたと言える。


そして戦後から、多くの学者たちは  日本人とアメリカ人  を比較した研究をしているが

結論から言うと、

集団主義かどうかに 国籍はほぼ関係ない。


じゃあ一体何が関係しているのか。それは、

その時の個人が置かれている状況


が一番強く影響している。


例えば、学生が 文化祭の時は、one for all で 一致団結!していても
授業中に大声でしゃべりまくってるやつは多い。

アメリカ人にしても、規律が厳しい軍隊にいる場合、周りを気にせずに、絶対に個人主義を貫くという人は果たしているだろうか?


日本やアメリカという 一億人を超える人口の国を
断片的なエピソードだけで、

日本人はこう! アメリカ人はこう!

と一括りに言うことは出来るだろうか?...


にもかかわらず


これまで通り、一度広まったイメージは  なかなか無くならないだろう。

日本=集団主義  というレッテル  が消えないのはなぜか。


その一つの理由として、自己成就予言 があげられる。

人間というのは、

認識に合わせて行動する という性質を持っている。

つまり、私たちが 

「日本人は集団主義だ」とレッテルを貼ることによって

集団的な行動をとってしまう。

そしてやっぱり「自分は集団主義だな」と思う。


この 無限サイクル にはまっている場合があるのだ。


確かに、私も自分が集団主義である と疑うことをやめないのは、

周りに合わせた行動してしまっていることで

「やっぱり私は集団主義だな」と思ってしまっているからだ。


つまり、何を伝えたいかというと

「レッテルをはるのをやめよう」


まさしくこの 無限サイクル にはまった私は

「私は集団主義だ」  と思うことで、周りに合わせて生きていた。


日本には、なんだか  見えないレール  が敷かれていて、

それは 高校からいい大学に入って、いい会社に就職して、結婚する安定した人生 というレールだ。


大学2年の時フィリピンに行ったことで、このレールの違和感の正体が明らかになった。

「このレールに乗れば幸せなんだ」と思い、大学受験を頑張った。

でもレールに乗ったあと、フィリピンで見たのは

日本よりも貧しい子供達の眩しい笑顔
いつも歌って踊って楽しそうな大人たち

みんな  自分らしく 生きていた。


「周りが自分のことをなんと言おうと、私が一番自分のことが大好きだから、気にしない!」


そうハッキリと言われ、私の価値観は一変した。

この日本のレールは 他人が決めた幸せ であり

自分にとっての幸せではない、と。


そう思って、自分の幸せのために 勇気を出してレールから外れた。

就職しないで いろいろ挑戦してみたい。


ただ、周りの大人たちは決まって

「いやいや、成功できるのは一握りの人だけだから」

「普通に就職して生きた方が幸せだよ」

と言う。


でも私を止めた大人たちは

私がいつか、「あの時やっておけばよかった」と後悔しても

誰も、誰一人として、

私の人生に責任を取ってくれない。


それに気づいた時、

周りに合わせた方がいい なんてレッテルを捨てて
自分がいいと思ったらやる!そう思って生きている。


人は誰でも

「自分は〜だから」 「日本人はこうだから」

と安易に言ってしまう。


これまで生きてきて、レッテルがあるのは当たり前だ。


でも思い切ってそれを一度剥がしてみることで、あなたの人生の見え方が変わってくるかもしれない。


ではまた!



ー参考文献ー

・高野陽太郎 (2008)『「集団主義」という錯覚』、新曜社

・開發 孝次郎 (1999)「日本異質論ー日本の企業ー」

・ルース・ベネディクト(長谷川松治訳) (2005)『菊と刀』、講談社学術文庫

・土居健郎 (1971)『「甘え」の構造』、弘文堂

・中根千枝 (1967)『タテ社会の人間関係』、講談社現代新書

・南博 (2006)『日本人論ー明治から今日まで』、岩波書店

・遠山淳・中村生雄・佐藤弘夫 (2009)『日本文化論キーワード』、有斐閣

・與那覇潤 (2003)『日本人はなぜ存在するか』、集英社

・芳賀矢一 (1907)『国民性十論』、富山房

・トクヴィル, アレクシス・ド(井伊玄太郎訳)(1987)『アメリカの民主政治』、  講談社学術文庫

・高野陽太郎・纓坂 英子 (1997)「”日本人の集団主義”と"アメリカ人の個人主義"  通説の再検討」


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