山本の本性

【 1983(昭和58)年1月 20歳 】



『キュルキュルキュルキュルキュルキュルッ』(機械音)

『キュルキュルキュルキュルキュルキュ』

『掛かれ! 動け!』(心の中の叫び声)

『キュルキュルキュ…ル…キュ…』

『キュ…ル…キュ……ル……』

『頼む! 掛かってくれ!』(再び心の中の叫び声)

『カタッ…カタッ…』

『カ……』

『オーマイガッ!』(もう一度再び心の中の叫び声)

悪夢のような音が窓の外から聞こえてくる。寒い寒い山陰出雲の冬の朝。8時半頃。その音は車のエンジンを始動させるセルモーターの音だった。その持ち主は山本。私は諦め覚悟を決めた…その時。

「おーい! 玖津木! 悪い、また頼む。」

それは山本の声。奴の車は製造後既に10年近く経っている上、とにかくバッテリーが弱い。だから2/3回(朝)くらいの確率でエンジンが掛からず、こうして私に助けを求めに来るのだ。(もちろん現在の車に比べ当時の性能は劣るが、あくまでも山本の車がそうであっただけである)
 私は仕方なく心地良過ぎる布団に暫しの別れを告げ、上着を羽織り駐車場に赴く。泊っていた前田も微妙な表情で同行する。駐車場に着くと早速山本が言う。

「いや…悪いな…悪い。すまん。」

「ああ…いいよ。」

どうしても笑顔になれない。少しぶっきらぼうに答えた。なぜならこれで3日連続だからだ。ほとんど会話も無いまま、前田と私はアイコンタクトだけで定位置に着き、山本の車を押し出し、小走り程度のスピードになるまで2~30mくらい車を押す。すると…

『ギュキュキュキュキュキュキュボボボボボボボボンッドルンッ』

っとエンジンが回りだした。車の窓から山本が、

「ありがとな。悪い悪い。ありがと。」

と言い、そのまま去って行った。正直ムカツク。

「おいクッキー。何なんだアレ。」

「…いい加減に腹立つな…。」

「さっさと新しいバッテリー買えよっ!」

「まったくだ!」

いくら奴の車に少々乗せてもらったことがあるとはいえ、何度も睡眠を邪魔され、挙句に寒い冬の朝に車の押し掛けを手伝わせるなど…とても好意的な気持ちを持続できるものではない。2人ともうんざりしていた。
 そして次の朝がやってきた。この4~5日はなかったのだが、その日は夜半過ぎから雪が降っていた。バイトから帰った頃には止んでいたが5cmくらい積もっていた。家の屋根や田畑、車の上も真っ白だった。そこで前田がちょっと不敵な笑みを浮かべて山本の車に近づく。前田は雪でキャンパス状態になった車のルーフ(屋根)一面に男性のシンボルの落書きをした。前田はそういうノリの悪戯が好きな男だった。私はそれを見て

「20歳を過ぎてそんなもの…お前は小学生か?」

っと笑いながら言い、暖かい布団が待つ部屋に戻った。前田と私は

『今日は山本の車のエンジンが掛かりますように…。』

と願いながら眠りに就いた。
 そして1時間程経った頃であろうか、ドアを叩く音と強い口調の声が前田と私の眠りの妨害をする。どうも山本のようだ。

『また車の押し掛けか…。えっ、でもセルモーターの音してたかな?』

っと辟易しながらドアを開けると、山本が目を血走らせ怒りを露に言葉を吐いた。

「非常識にも程があるだろ。何をしてくれているんだっ!」

いったい何のことを言っているのか? 山本が何を怒っているのか前田と私は呆気にとられて何も言うことが出来ない。しかしだんだん山本の主張が見えてきた。

「何? 何を怒ってる?」

「何って…お前等はやっていいことと悪いこともわからないのか。」

「だから何のことか言ってみろよ。」

「車だ。」

「車? 車がどうした?」

「まだわからないのか。車の上に落書きをしただろう。」

「へっ! ああ…あれのこと?」

「他に何があるというんだ。」

再び前田と私は呆気にとられた。山本の怒りの原因があまりにもつまらないことだったので我々は笑いを堪えて、

「いやいやちょっとした洒落だから…。」

「洒落? ふざけるな。やられた者がどれだけ嫌な思いをするのか考えられないのか。」

「いや…そんなに大したことでもないと思うけど…。」

「大したことではない? 話にならない。どういう神経をしているんだ?」

「ああ、わかったわかった。すまん。もうしないから…。なっ。悪かった。」

「ふんっ!…ああ…もう絶対にするなよ。」

と言い、まだまだ言い足りない様子ながらも、山本はドアを閉め去っていった。前田と私は声を殺しながら、

「おいおい、クッキー。何だアレは? クックック。」

「いや、俺もビックリ。洒落の通じない男なのは知ってるけど、これ程とは思ってなかったし… ククッ。」

「それにしてもあんなことで、あれだけ怒るか?」

「いやいや…すごいな、まったく。」

とにかく山本の面倒な性格が顕著に現れた事件であった。普通ならあの落書きが気に入らないとしても雪をどければ済むことだ。別に油性ペンで書いたわけではない。だいたいこの程度の洒落がわからないから山陰地方出身の我々からさえも『田舎者コンプレックス』があると周りから揶揄されるのだ。そして山本が去ってから約1分後。駐車場から例の音が聞こえてきた。

『キュルキュルキュルキュルキュルキュルッ』
『キュルキュルキュ…ル…キュ…』
『カタッ…カタッ…』
『カ……』

この音を聞いてとうとう前田と私は堪えられなくなって大声で笑ってしまった。

「おいカツ(前田のあだ名)! 待て待て。今奴が車を降りたら(笑い声が)聞こえてしまうって。」

「そ…そんなこと言っても…面白過ぎるだろ…。」

「そう…だけど…とにかく我慢しろ。」

予想通り山本の車のエンジンは掛からなかった。そして昨日のようにいつもなら車の押し掛けを頼みに来るのだが…さすがに山本もこのタイミングでそれはできない。前田と私は窓のカーテンに隠れながら駐車場を見る。案の定、山本は車の横に立ち何もできないでいた。しばらくすると山本はまた車に乗り込みドアを閉めた。すると車から、

『カッ…カ…』

やっぱりエンジンは掛からない。すると再び車から出てきた山本は大きな荷物を背負い駅の方角へ歩き始めたのであった。それを隠れて見送った我々は今度は誰にはばかることなく大声で笑った。少し落ち着いて前田が切りだす。

「はあはあ…あ…っ…。あーっ面白かった。」

「あいつ。どうせキレるのならエンジン掛かってからにすればいいのに。」

「そうそう。こういうこともあるんだから、とりあえず怒るのを我慢してたら、俺らに押し掛け頼むことも出来たのにな。」

「ホントの馬鹿だな。アイツ。」

「ああ。それにしてもあんな落書き程度でキレるから損をするのがわからないのかなあ?」

「普段はいい奴なんだけどな…残念な奴…。」

「そうだな。でもとりあえず暫くは車押さなくていいかもよ。」

「そう。それは助かる。」

結果。次の朝も山本はエンジンが掛からなかったが助けを呼びに来なかった。ちょっと『意地悪かな』とも思ったが、こちらから頭を下げる気にはならなかったので放っておくことにした。そして更に次の日、ついに山本はバッテリーを買い換えたようで、それからはエンジンも何とか掛かるようになったようだ。私は、

『それならもっと早く買っておけよ』

と心底思ったものである。ただ、図らずも山本を怒らせたことで、寒い朝の安眠という至福の時間を再び手にすることが出来たのであった。


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