継続に努力を要すこと

こんばんは
今日もお立ち寄りいただきありがとうございます

昨日の記事を書いた後、
思考がぐるぐると巡り
辿り着いたことがあったので
書いておこうと思います。

継続は難しい と書きましたが
他にも継続したことがありました

子どもの幼少期
駄菓子を一切与えませんでした
お砂糖なし・減塩・化学調味料なし

その時は頑張っていましたが
それを続けるための努力
つまり「継続する努力」なんて必要なかったことに気付いたのです

恐らく、イチロー選手も大谷選手も
もちろん 多くの成功者たちは
継続のための努力ではなく
単純にそのことへの努力に集中することができたのではないでしょうか

小学生野球を始めた我が子の成長に
周りの方から
毎日どれくらい素振りをしてるのかと聞かれたり
日々の練習の成果が出てますねとお声がけいただいたりしたのですが
私たちは素振りや練習をしていないことを知っていたので
いやー・・・💦
となっていたんです。

でも、よく考えたら
ずっとしてるんです。
それが、敢えて「練習」という時間をとっていないだけで
しゃべりながら、歩きながら、バスを待ちながら
気が付いたら野球の動きをしているということに気が付いて
ハッとしました。

それは最早努力とかではなく
自然に練習してしまっているんです

好きこそものの上手なれ

とはこのことだな
と改めて思いました。

好きなことは知らず知らずのうちに
やってしまっているので
それはもう自然と人より沢山練習してしまうんですね

やりたいことがたくさんありすぎて
時間をとるのが難しい

そうして
継続のための努力を要すことは
もしかしたら間違った努力の方向なのではないかと
ふと思ってしまいまいました

努力は報われないこともある

もしかしたら
単純にそのことへの努力ではなく
別のこと、例えば「継続のための努力」とか
そういう別の努力を要す努力は報われないことが多いのではないかと
勝手に仮説を立ててみました

報われる努力はきっと
苦しくても 辛くても 楽しくて やりたい!
ってキラキラしちゃう努力なのではないかと。

少なくとも 強制されたり
やらなくちゃ、と追い立てられたりする努力ではないのだろうな、と思います。

以前に、「辛いだけの努力は報われない」
と言っている動画を見かけたことがある気がします

なるほど
私の仮説はあながち間違っていないかもしれません

継続のための努力は置いておいて
自然とやってしまう
ついつい頑張ってしまう
続けることが楽しい
そういうことに出会えたら
それが輝ける場所なのかもしれませんね

これから出会うのか
それとも 既に出会っているなら
これまで 努力なく続けてしまっていることに注目してみる

それが 自分の場所を見つけるポイントなのかもしれません

もちろん、
継続する努力によって得られることもあって
その結果身についたことによって成功する場合もあるでしょうし
たとえ報われない努力と言われる結果になったとしても
無駄なことは決してないと思っています

全てが血となり肉となり
自分を形成していきますものね

そういうわけで
今日はこの辺で失礼します

本日も散文を最後までお読みいただきありがとうございました

素敵な明日をお迎えください

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